▼『誰も書かなかった日本医師会』水野肇

誰も書かなかった日本医師会 (ちくま文庫 み 24-1)

 戦後の医療行政に深く携わってきた日本医師会.四半世紀の長きにわたり会長を務め,強烈なリーダーシップを発揮した「ケンカ太郎」こと武見太郎氏をはじめ,歴代会長らへの丹念な取材を40年以上重ねてきた著者が,この「日本最強の圧力団体」の深層をえぐり出す.同時に本書は,転換期を迎えた現行の医療制度の歴史をたどり,その行く末を占うものでもある.戦後の医療制度年表を巻末に掲載――.

 政の論理と縁深いことにより,医学領域は「算術」,すなわち理財で語られる面は否めない.それが政治算術を意味するものでもあったということが,日本医師会の画期から察せられる.「むかし陸軍,いま総評」とされた時代を経て,「むかし総評,いま医師会」といわれた坪井栄孝会長時代.その評価は,武見太郎が築いたものといって過言ではない.日本医師政治連盟を組織し,潤沢な政治資金を盾にロビー活動を展開した“武見時代”が,日本医師会日弁連に匹敵する職能/頭脳集団をもつ団体へと引き上げた.

 戦後数年間の「GHQ時代」の次に,武見時代は成立した.内務大臣牧野伸顕の主治医となり,その孫娘秋月英子(吉田茂夫人の姪)と結婚したことから,総理大臣と姻戚関係を結ぶことに成功した武見は,政界人脈にも顔を利かせ権威を揮う「日本医師会のドン」「厚相殺し」の異名をとった.訪問して「よろしくご指導ください」と頭を下げた厚生大臣に「大学教授はやったが,幼稚園の先生はやったことがない.お断りします」と侮辱した話も有名なら,「入院してみて,はじめて患者というのはかわいそうな存在だということがわかったよ」というのも至言.

 周到な政治力を背景に,医道の昂揚,医学の発達,普及と公衆衛生の向上という高尚な目的を公言するヒエラルキーは,若手の勤務医から老獪な開業医までをフォローした組織にはなりえず,年齢構成と開業/非開業の会員で日本医師会への関与が大きく異なる.代議員会を意思決定機関に置き,代議員選挙は都道府県医師会に委託され,厚生行政の審議会や委員会には日本医師会推薦委員が有力メンバーに据えられ,他の医療団体のキャッチ・アップを阻む.その基本を作り上げた武見体制の功罪を論じる分量は,本書全体の3分の2に迫る.

 1957~1982年の長期(13期)にわたり会長職にあった武見体制――以後の「亡霊的な影響力」というニュアンス――日本医師会の「圧力団体」化への道でもあった,と本書は繰返し述べる.健康保険税の大幅増,受診3割負担,医療費2.7%カットをトップダウンで実現した2000年代前半の改革は,医師会―自民党―厚生(労働)省の力関係が大きく傾いたことを印象付けるものだった.武見ほどの剛腕をもつ会長職がこれまで不在であったことは,軽視できない主因であったことだろう.“黄金時代”を記憶する日本医師会は,本書で嘆かれる単なる“賃上げ団体”というほど底の浅い集団ではない.

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原題: 誰も書かなかった日本医師会

著者: 水野肇

ISBN: 9784480424952

© 2008 筑摩書房