▼『黒人のたましい』W・E・B・デュボイス

黒人のたましい (岩波文庫 赤 333-1)

 リンカーン奴隷解放宣言から四○年後の一九○三年に,魂をもつ人間としての黒人を高らかに宣言した書.黒人の本質とその差別の現実が,十四のエッセイによって深く考察された名著として,綿々と読みつがれてきた黒人論の古典である.W.E.B.デュボイス(一八六八―一九六三)は黒人運動の指導者としても活躍した有数の社会学者――.

 隷解放宣言から40年後,黒人(アフリカ系アメリカ人)の生活は,目に見えない「障壁」によって抑圧されていると本書冒頭に述べている.この障壁は,黒人を圧迫しながらその暴力を見えなくするものであり,人種による区別,すなわち「カラーライン」を引く行為を象徴している.W・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt Du Bois)は世界を形成する見えない障壁を「ヴェール」という言葉で表現した.実際には国境を越えて広がる「カラーライン」を指し,世界の分断と特定の人々への抑圧を比喩的に示す概念であった.1867年に最初の黒人大学ハワード大学がワシントンD.C.に創立されて以来,各地に黒人のための大学が生まれ,それらの卒業生が中産階級を築き上げ,多くの指導者を育て上げた.「カラー,ラインを超える知性と共感の同盟によってのみ,正義と公正は勝利を得る」と呼びかけ,理論的に人種平等を訴えたデュボイスは,その代表的な存在である.

 黒人の歴史と現状の実証的研究に基づいて社会改革を進めることを志し,学問的に先駆的で貴重な成果を生み出したばかりでなく,近代黒人解放運動における思想的指導者,実践家として大きな足跡を残した.1897年から1910年にかけてアフリカ系アメリカ人の社会的状況に関する実証研究を行い,変化は扇動と抗議を通じてのみ達成できると考えたが,これはブッカー T. ワシントン(Booker Taliaferro Washington)の見解とは対立した.ナイアガラ運動(1905)や全米黒人地位向上協会(NAACP)の創立(1909)に参加し,黒人の解放とその地位向上に献身したデュボイスは,1900年から1945年にかけて6回開催されたパン,アフリカ会議を指導し,パン,アフリカニズムの父と呼ばれている.デュボイスは1903年に本書を出版し,1905年にはナイアガラ運動を創設,これが後にNAACPへと発展した.1910年代から社会主義への関心を深め,アメリカにおける民族と階級の問題にも理論的に貢献した.

 デュボイスはフレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)のフレーズを借りて,アメリカの社会生活と政治生活に広まっていた分離は平等という教義の不公平さを表現するために「カラーライン」という用語を普及させたことは注目される.デュボイスが予見したカラーラインの概念には広範な意味が含まれており,この短い文章の中でデュボイスは3つの思考の形(incarnations)を提供している.デュボイスによれば,黒人たちの生活は目に見えない何ものかによって抑圧され,閉じ込められ,声を奪われている.この「ヴェール」とは,カラーラインを引くこと(=人種化)によって人間を圧殺するその暴力を不可視化するものであった.デュボイスの初期の使用法では,この問題を世界各地(アジア,アフリカ,海洋諸島)にまで広げており,自伝『自由の夜明け』では20世紀最大の問題である「色(color)」の普遍的排他性を暗示していた.

 「カラーライン」という用語の一般的な用例では通常アメリカ合衆国のみに言及しており,デュボイスが彼の初期の論文で認識していたものとは異なるかもしれない.目に見えない「ヴェール」がもう一つの世界から黒人たちを断絶させている一方で,マジョリティである白人側からは黒人たちの孤立や苦しみは見えない.黒人たちの生活には「ヴェール」がかかっており,白人の世界からは不可視化されているからである.これらの相違は,この書籍の一部が元々連載(その多くは"The Atlantic Monthly"掲載)であったことから生じたものかもしれない.最初の用例は直接的な言及で読者を引き込み,2番目の用例ではデュボイスが「20世紀の問題とは,カラー,ラインの問題である」と考えていた世界の地域全てを特定している.全ての用例は,直接的であれ間接的であれ,カラー,ラインがアメリカ合衆国の国境の外にまで延びていることを暗示している.

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Title: THE SOULS OF BLACK FOLK

Author: William Edward Burghardt Du Bois

ISBN: 400323331X

© 1992 岩波書店