幕末の京都.血気盛んな男たちの集団「新選組」にひとりの美少年が入隊する.彼の妖しいまでの美貌をめぐって,男たちの中を駆け巡る嫉妬とうわさ,そして憶測.「局中法度」「軍中法度」という厳しい戒律の下,抗争と殺戮に明け暮れていた新選組が,狂気を帯びた混乱に陥っていく…. |
狂気には,"死"と隣り合わせであることから放出されるエネルギーと親和性がある.それをリビドーの昇華と捉え続けた大島渚の炯眼は揺るぎない.実質的には最後の大島作品となる本作は,むしろ大島の原点回帰――"死"に魅了された狂気の刹那――にして極致の装いがある.「局中法度」「軍中法度」という厳しい戒律が布かれていた新撰組において,衆道(男色)の流行に上層部が手を焼いた時期はいくつかあった.1864年,5月20日の局長近藤勇の書簡にはこの問題が言及されている.司馬遼太郎『新選組血風録』の二短篇「前髪の惣三郎」「三条磧乱刀」を下敷きにした作品だが,中身は大島独特の世界観が支配している.
「男色」は,古代エジプトの軍隊内,ヨーロッパのノルマン人の戦闘的集団,日本内外の宗教組織等に蔓延ったという.日本の武家階級ではとくに17,8歳までの「弟分」が兄分へ倫理と義理を誓った.前髪を垂らした若衆髷(まげ)に薄化粧,新撰組隊士の華やかな伊達衣装に身を包んだ加納惣三郎は,妖しい色気を放つ剣士である.隊の内規は厳格な「御法度」であるが,違反者を粛清する大役を,惣三郎は顔色ひとつ変えずに遂行する.その女々しい麗しさとは正反対の毅然たる態度に,副長土方歳三も訝しく思い警戒の念を抱く.本作の仮題は「前髪 MAEGAMI」であった.魅力的な題だが,若衆髷を頑なに守る惣三郎の宿願の隠喩としては,やや繊細すぎる.「願をかけておりまする」――その誓いの意味するところを,鑑賞者に想像させる余地が本作の醍醐味.
彼を衆道に引き込んだ田代彪蔵との決闘において,意味不明に思われた惣三郎の“囁き”.実は,スクリプトに記されていたとされる言葉――いまや公然の秘密――を,彼は田代の耳に吹き込んでいたのである.その言葉は「もろともに,もろともに」.当時の恋人同士で与え合った睦言である.これを耳にした刹那,優勢であった田代は腰砕け,惣三郎に斬られる.大島に「眼が切れのながい単まぶたで,凄いような色気がある」と抜擢された松田龍平は,よろめく男色を抱擁する「死の誘惑」に狂った剣士,という難役に怖じた様子をさすがに隠せない.しかし黒を基調に,ナチスの隊服をイメージしたワダ・エミによる革新的隊服,数々の隊士に可愛がられ,嬲られ,ひいては隊の風紀を乱すことになる役柄の特殊性に逆に守られて演じきった印象が残る.
沖田総司を演じた武田真治は,見事なプレゼンスである.「男色などには興味がない」と言いながら,劇中で惣三郎とは違ったベクトルで色気を発散していたのは,疑いなく沖田.その沖田に斬られる運命を狡知に引き寄せる惣三郎は,物凄い悲鳴だけを残してこの世から消えた.彼にとって粛清あるいは剣士との同床は,いずれも生ける証としてのリビドーを十分に満たすものではなかった.その最高のオーガズムを迎えることこそが「悲願」であり「宿願」だったのだ.わずか7年間の活躍で時代の渦の中に消えていった新選組の光芒,貴重な安穏とした短い期間に「性」「生死」の鬩ぎ合いという倒錯.痺れるような陶酔感が長く残る作品である.
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原題: 御法度
監督: 大島渚
100分/日本/1999年
© 1999 大島渚プロダクション=松竹