▼『権利のための闘争』ルドルフ・V・イェーリング

権利のための闘争 (岩波文庫 白 13-1)

 自己の権利が蹂躪されるならば,その権利の目的物が侵されるだけではなく己れの人格までも脅かされるのである.権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり,ひいては法の生成・発展に貢献するのだ.イェーリング(一八一八―九二)のこうした主張は,時代と国情の相違をこえて今もわれわれの心を打つ――.

 的権利の保護と主張が社会的進歩にとっていかに重要であるかを展開する法哲学の古典.権利は単なる個人的な利益の問題に留まらず,社会全体の利益に深く関わるものであると説く.権利の主張を通じて社会正義が実現され,人間の行動が利己心と利他心の両方によって動機付けられると前提するならば,権利を主張することは,個人の利益を追求する行為であると同時に,社会全体の利益に貢献する行為でもあるだろう.ルドルフ・V・イェーリング(Rudolf von Jhering)の法哲学は,法は静的なものではなく,常に進化するものであるという考えに根ざしている.

 権利をめぐる闘争が法の発展と社会の進歩を促進するという主張は非常に論理的である.個人の権利の主張が社会全体の進歩につながるという考え方は,法の機能を理解する上で重要な視点を提供する.しかし,権利の主張が必ずしも常に社会全体の利益に貢献するわけではないという現実も無視できない.個々の権利の衝突や権利の濫用に関する議論も不可欠である.イェーリングは,利己心と利他心が共存することを前提としているが,この2つの動機が具体的にどのようにバランスを取るのかについては明確なガイドラインを提供していない.

 現実の社会では,利己心が強く働く場合,権利の主張が自己中心的な行動に終始し,社会全体の利益が損なわれる可能性もあるだろう.法が進化するというイェーリングの考え方は,現代の法学においても広く受け入れられ,法的権利の闘争が法の発展を促進するという主張は,歴史的な事例を通じて実証されている.しかし,法の進化が必ずしも社会全体の正義を実現するわけではなく,一部の権力者や利益団体によって影響を受けることもあり,この点についてイェーリングは十分に考慮したわけではない.

権利=法の目標は平和であり,そのための手段は闘争である.権利=法が不法による侵害を予想してこれに対応しなければならないかぎり―世界が亡びるまでにその必要はなくならないのだが―権利=法にとって闘争が不要になることはない.権利=法の生命は闘争である.諸国民の闘争,国家権力の闘争,諸身分の闘争,諸個人の闘争である

 本書の格調高い書き出しは,法の発展に寄与する個人の義務が闘争で得られる権利と一対であると示唆している.権利のための闘争は,品格ある雅な歌となり,己の権利を明らかにすることが責任ある人間のすべての義務である.イェーリングの論理表現は,主張される内容と矛盾せず明快であるものの,個人の利益の追求が法の生成と発展に貢献し,最終的に国家共同体の利益に結びつくというナショナリスティックな視点を描いている.民法のドグマと賠償責任に関する功績を持つイェーリングの信念の背後には,普墺戦争普仏戦争を経て屈指の強国となったプロイセンの「闘争」が横たわっている.本書はウィーンで行われた講演記録であり,1894年に刊行された.

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Title: DER KAMPF UM'S RECHT

Author: Rudolf von Jhering

ISBN: 9784003401316

© 1982 岩波書店