▼『北朝鮮へのエクソダス』テッサ・モーリス-スズキ

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)

 日本政府と官僚,北朝鮮,韓国,米国,ソ連,中国,そして赤十字.冷戦下,各々の思惑が絡み合い,「帰国事業」は始まった.世界を旅して衝撃の新資料を発見,隠蔽された歴史の真相を読み解く.歴史に翻弄された個人の人生を真摯に見つめる筆者の眼差しが心を揺さぶる――.

 9万3,300人の在日朝鮮人とその家族が,1959年から1984年にかけて「帰国事業」により北朝鮮に渡った.この事業は,冷戦下の国際政治における複雑な力関係と,民族主義社会主義が交錯するイデオロギー闘争の影響のもと実施された.表向きは「人道的」な事業とされたが,その背後には多層的な政治的動機と戦略が存在していた.1950年代,日本政府は約60万人の在日朝鮮人を抱えており,経済的負担と治安維持の観点から彼らの追放を意図していた.

 日本国内の経済的および社会的課題に対処するための手段として帰国事業が利用された一方,北朝鮮金日成は,大躍進政策を推進する中で,中国人民解放軍の撤退に伴う労働力不足を補うため,帰国者を「後継労働力」として活用しようと目論んでいた.北朝鮮はこの事業を日韓国交正常化交渉を妨害するための政治的カードとして利用し,日本の左派勢力やソ連の支援を受けつつ,国際社会に民族主義社会主義の共鳴をアピールしようとした.対象者の多くは南朝鮮出身であり,一人あたり国民所得82ドルという極貧国家であった李承晩政権は,彼らの帰国を容認しなかった.

 李政権の意図は,冷戦下での国際的な人権意識や外交的圧力を無視したものであった.対する北朝鮮は冷戦の中で日米安保改定を控えた岸内閣の動向を注視しながら帰国事業を推進した.この事業は日本国内での政治的支持を得るため,赤十字国際委員会を通じて人道的側面が強調されたが,その実態は冷戦下の国家対立の縮図であった.多くの在日朝鮮人は祖国への帰還という希望を抱いて北朝鮮に渡ったが,総連から「楽園」として描かれていた北朝鮮の現実との大きなギャップに直面し,絶望と混乱に陥る.

 帰国事業は単なる人道的移住プログラムではなく,冷戦期の国際政治におけるイデオロギー闘争とパワー・ポリティクスの一環であった.著者は,機密解除された国際赤十字文書やアメリカ,オーストラリアの公文書をもとに,この事業の背景と実態を綿密に考証しており,その詳細な分析には,当事者ではないにもかかわらず国籍を超えた強い共感が感じられる.帰国事業を通じて浮かび上がる冷戦期の複雑な国際関係とイデオロギーの衝突は,現代においても多くの教訓と反省を残している.

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Title: EXODUS TO NORTH KOREA

Author: Tessa Morris-Suzuki

ISBN: 9784022617064

© 2011 朝日新聞出版