愛する娘を湖の遭難で失った会社社長架山は,その悲しみをいやすべく,ヒマラヤで月を観,娘とともに死んだ青年の父親に誘われて,琵琶湖周辺の古寺を巡った.そして,今,湖上の月光を身に浴びながら,彼の胸に,ようやく一つの想いが定まろうとしていた‥‥死者と生者のかかわりを通して,人間の<死>を深く観照した,文学の香り高い名作――. |
親が子を弔う「逆縁」の哀しみに,人はどのように対峙していけるかを精神性高く洞察した作品である.眩い生命力で周囲を照らした17歳の少女みはるは,ある日を境に父・架山の前から忽然と姿を消してしまった.年上の青年と琵琶湖に漕ぎ出したボートが転覆し,2人の亡骸は湖底に留められ,ついに揚ってこなかった.葬儀を執り行うこともできない架山は,青年の父・大三浦に憤りを感じるが責め立てることはできない.「運命」「運命論」という言葉は,みはるを失うまでの架山にとって,人間の刻苦を軽んじる無責任な響きに聞こえ,好ましく思えるものではなかった.
娘の影は父の心像に度々去来し,親子は誰にも理解の及ばぬ「対話」を重ねる.架山はそれに安息を見出したく考えた.いつまでも鬼籍に入らず,本当の死者となっていないみはるは,殯(もがり)の状態にあった.娘を深く想うほどに,架山の罪障感は強くなり苦しさは募る.大自然の絶景に身を置くことで,心機に変化があることを半ば期待した架山は,因縁の琵琶湖を避けヒマラヤ観月旅行を敢行した.だが,耿耿たる月の光にも娘の残影は呼び起こされることはなかった.自分が足を向けるべきは,この地ではなかったのだ――.
架山と大三浦,事故から数年が経過しても救いを求め続ける父二人は,連れ立って琵琶湖に赴く.長大な湖の北部・籠尾崎の南に位置する竹生島.その湖底に若い2人の亡骸は今も眠っている.湖畔の周囲に存する40体以上の十一面観音像を求めて,大三浦は行脚を続けていた.その案内により,架山はいつしか死者の鎮魂の念を観音像の前で呼び起されていくのである.それは,かつて彼が一顧だにしなかった人間の運命に対する祈りに至る途であったとも言い換えられよう.仏教の慈悲の精神を体現する菩薩は,悩める衆情を即座に汲み取り,音声を観ぜられるという.
十一面観音は多面の変化像であり,前三面を菩薩面,左三面を瞋面,右三面を狗牙上出面,後ろ一面を大笑面とし,頂上に一仏面を配する.満月の光に満ちた湖面,坐像あるいは立像で湖畔の堂から向いた幾多の観音像が,一体,また一体と湖岸に立ち出でる.瞑目した二人の父の眼は,確かにそれらの像を認めた.この上ない荘厳な葬祭の儀は,まよえる魂を星へと引き上げ,魂魄を引きとめ続けるほかなかった肉親の悼みを浄化した.一人の若者と一人の少女の殯は終わった――その確信を導く霊験というものが,見事に文学へと昇華され融合した森厳なる叙情詩である.
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原題: 星と祭
著者: 井上靖
ISBN: 404121632x
© 1994 角川書店