家康の孫に生まれ,大阪夏の陣で武勲をたてた越前六十七万石の藩主・松平忠直卿は,揚々と居城の福井へと戻った.そこで行なわれた槍試合でも単独勝利をおさめ,得意の絶頂だったが,ある夜耳にした家臣らの会話から,今までの試合や賛辞はすべて追従であったことを知り,愕然とする.突然深い懐疑に襲われた忠直卿は,以来暴虐非道を極める…. |
人間の内面を理知的に解剖するテーマ性が魅力の菊池寛の原作を,菊池寛十三回忌を記念して製作した大映作品.徳川家康の孫に生まれた忠直卿は,武芸に秀で城内では敵なしと自任していた.大阪夏の陣では大阪方の軍師真田幸村の首を討ち取ったほどだが,家臣の雑談を立ち聞きしたことで,人の身では計り知れない人生の非情,それに対する自己確立への疑惑に苦しむ.「以前ほど,勝ちをお譲りいたすのに,骨が折れなくなったわ」.
家臣の本音を立ち聞きした刹那,忠直卿が生まれて初めて味わった名状し難い衝動.以後の忠直卿は,暗君として行状を重ね,海音寺潮五郎も『悪人列伝』の中で「日本史上類例のない暴君」と書いている.本作の失点は,忠直卿に対する家臣の忠義を,原作ほど苛烈に描いていない点にある.家臣浅水与四郎の妻を犯すことは未遂に終わり,領地召上げのうえ,豊後府内にお預けという厳しい処分を受けた忠直卿の出立を与四郎夫婦が見守る.
この描写は余計であった.主君に対して心の内を曝け出す血の通った人間など皆無,という疑惑が確信に変わればこそ,忠直卿の心の闇は救いようのないものとなったのだ.それを誤魔化すような変更はいただけない.ただ見方を変えれば,この哀れな君主を演じた市川雷蔵は,並々ならぬ共感をもって演じたかもしれない.
三代目市川九團次の養子となり,八代目市川雷蔵を襲名した彼は,映画俳優のキャリアの中でも勝新太郎とともに大映の二枚看板として活躍した.当時,大映の経営陣は市川を長谷川一夫に続くスターとして売り出すことを想定しており,その重圧を敏感に感じ取りながら大役をこなし続けた市川は,2種類の人間を徹底的に嫌い容赦しなかったという.1つは,媚びへつらいを見せて近づいてくる人間,もう1つは,仕事にいい加減な人間ということであった.
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原題: 忠直卿行状記
監督: 森一生
94分/日本/1960年
© 1960 大映