主な舞台は東京の下町.そのあたりでは伝統的な露店商を「テキヤさん」と呼んでいる.「親分子分関係」や「なわばり」など,独特の慣行を持つ彼ら・彼女らはどのように生き,生計を立て,商売を営んでいるのか.「陽のあたる場所からちょっと引っ込んでいるような社会的ポジション」を保ってきた人たちの,仕事と伝承を考察――. |
香具師集団は,18世紀初頭に京都,大坂(阪),江戸で職法の式目(法規)を改定し,その後,江戸時代末期には市で店を出す商人が一般化した.これらの集団は,啖呵を切る「ころび」,盛り場などの「床店(とこみせ)」,風船や飴を売る「こみせ」,縁日の植木屋の「ぼく」など,さまざまな商売手法を発展させ,習慣として確立していった.これらの商法は,中国古代の神農黄帝信仰と結びつき,一般には「テキヤ」と呼ばれるようになった.
1872年に「香具師」という名称が廃止され,「テキヤ」という呼称が残った.1924年には,大阪で香具師同士の生活防衛策が講じられるほど,香具師集団にはギルド的な意識が強く根付いていた.テキヤは北海道・東日本,西日本,沖縄の三つに分かれると言われており,地域ごとの特性を持つ.また,縁日での露店は多くの場合,地元の商売人のサイドビジネスであった.しかしながら,「7割商人,3割やくざ」という言葉が示すように,香具師集団には反社会的勢力との関わりがあり,その暗い一面を無視することはできない.
香具師集団は,祝祭空間の定位置を占め,家名と秩序を保ちながら,口頭伝承を通じて規律を維持してきた.しかし,現代日本において,テキヤは都市人口の増加とともに社会病理の一部としてその行動様式が問題視されるようになった.著者の調査によれば,露店商に関する人文社会学的研究が進められたのは社会病理学の立場からであり,文化人類学者や民俗学者はこの分野にほとんど関心を示さなかった.これは,フィールドワークの困難さに加え,香具師に関する文献が乏しいことが一因と推測される.
香具師の歴史と現状を理解するためには,単なる商業活動や伝統文化として捉えるだけでは不十分である.この存在が持つ社会的な意味や,反社会的勢力との関わり,そして現代社会における病理学的な視点からの分析が不可欠である.このような視点を持つことで,香具師という集団の真の姿と,その存在が現代日本社会に与える影響をより深く理解することができるだろう.
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原題: テキヤはどこからやってくるのか?―露店商いの近現代を辿る
著者: 厚香苗
ISBN: 9784334037956
© 2014 光文社