▼『宇宙飛行士オモン・ラー』ヴィクトル・ペレーヴィン

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー 25)

 うすよごれた地上の現実がいやになったら宇宙に飛び出そう!子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったソ連の若者オモンに下された命令は,帰ることのできない月への特攻飛行!アメリカのアポロが着陸したのが月の表なら,ソ連のオモンは月の裏側をめざす.宇宙開発の競争なんてどうせ人間の妄想の産物にすぎないのさ!?だからロケットで月に行った英雄はいまも必死に自転車をこぎつづけている!ロシアのベストセラー作家ペレーヴィンが描く地上のスペース・ファンタジー――.

 装にすら見える宇宙服を纏い,頭にはヘルメットの代わりに古代エジプトの太陽神ラーの頭部を戴いている.本書は,ソヴィエトの宇宙開発についてではなく,ソヴィエト人の内面の宇宙をテーマにしたもの.1970年代に行われた無人月面者による月面探査「ルノホート計画」に参加したオモンは,月面探査車の中で自転車型の発電機をひたすら漕ぐ.

この砂時計を見たとき,砂がガラスの首を通って落ちていくペースの遅さに驚いた僕は,じつは砂粒一つひとつにも意思があり,どの粒も落ちるのをいやがっていると気づいたことを覚えている.砂粒にとって落下は死を意味している.それでいてそれは避けられない運命でもある.あの世もこの世もこの砂時計によく似ていると僕は思った.すべての生ける存在がある方向において死んでしまうと,現実はひっくり返って彼らは生き返る──つまり方向を反対にして死にはじめる

 赤旗航空学校,機密宇宙学校の歪んだ想念は,虐待行為を粛々と遂行する教官を養い,オモンもそれに従わなければならない.古代エジプト人は,太陽の昇降とともにラー自体も変化すると考えたのだ.1991年12月25日にソ連は崩壊したとされるが,その翌年に著された本書は戯画的で挑発的な寓話.平凡な国民オモンが見た「夢」は,国家権力機構に盲目的に奉仕することを求められる「動力」利用だった.

僕はまだほとんど何も見たことも経験したこともなかったけれど,世の中のいろんなことが好きだった.そして月に行くことは,それまで僕がそばをかすめながらも,きっとまたいつかきっちりと出会いなおしたいと思っていたすべてのものを自分にもたらしてくれるだろうと思っていた──あのころの僕に,人生の最良のものとはつねに目の端をかすめるだけのものでしかないなんて,どうして知りようがあっただろう

 友人ジーマが熱心に聴いていたのは,ピンク・フロイドの《吹けよ風,呼べよ嵐》.1970年代にひとつの過渡期を迎えた怪物バンドの音楽を,ソヴィエト国民がラジオ放送で聴くことができたという奇異.ラモンの夢の中に出て来る熊は,「俺もこの世も,ぜんぶだれかの想念にすぎない」とつぶやく.本書には,ニヒルなメルヘンが散りばめられている.

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Title: ОМОН РА

Author: Viktor Pelevin

ISBN: 9784903619231

© 2010 群像社