政治システムさえ超えグローバル化を続ける企業の正体を,総勢40名の証言から描く.利益のためだけに働く現在の企業を一人の人格として精神分析すると,「他人への思いやりがない」「罪の意識がない」などの項目に該当し,完全なサイコパスと診断されるという.最近日本でも話題になった「公共事業民営化の是非」「企業の不祥事の原因」,M&A騒動の中で問われた「企業は誰のモノか?」といった問いにも,答えを導いてくれる…. |
利己的な欲望に導かれた経済活動は,「見えざる手」の統制で正当に競争が煽られる.そこで重要なのは「公正さ」であることをアダム・スミス(Adam Smith)は『国富論』で強調するが,人々の「胸中の公正な観察者」を『道徳感情論』で指摘していた.いわば,人間社会の秩序と繁栄を導く原理と,経済と行政に関する一般原理を両輪で構築していたのが,この社会科学の巨人であった.社会の秩序と繁栄には,「財産の道」「徳への道」のいずれかを歩む人間の在り方が重要だと『道徳感情論』では説かれる.前者は批判を恐れる弱き人,後者は悪徳を克服する賢き人の道である.
企業も法人格を与えられた「人」であるなら,その利己的な経済活動が利潤となり,価値法則の作用と資本投下の自然的秩序もなんらかの説明をつけることができる.その精神分析的診断――極度の自己中心性,冷酷で共感性に乏しく,社会規範を無視して虚言を続けて罪悪感を持たない精神病質そのもの――から,本作では企業を描き出す.「企業は誰のものか」といった命題とは次元を別にして,現代のリヴァイアサンと化した組織体がいかに腐敗した社会的存在(bad apple)であるか.ただしヒステリックな左翼の論調からは一定の距離を置く.
肥大した多国籍企業の悪徳ともいえる営為のエピソードは,羅列的だが看過できないものが精選されている.ボリビアの水道民営化抵抗運動,ホンジュラスの労働搾取工場,フォックス・テレビ内部告発,遺伝子組み換え食品に反対するインドの環境保護活動等々.公共領域の私有化を可能にしたサイコパスは,利潤と権力を病的に追求し,時には政治の動向さえ左右する.ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)『怒りの葡萄』では,巨大資本(銀行)から追われ,カリフォルニアに楽園を夢見た季節労務者とその家族の希望は,農本主義に託されていた.
現在では,スタインベックが失業者に与えた一縷の望みは抑圧され,ほぼ無力化している.それだけ利己的な経済活動は強大だからだ.では,本作のような趣旨の映画の存在意義は何か.大企業を通じて配給され,国民に届けられる構造をどう考えるかというロジックである.ここではマイケル・ムーア(Michael Francis Moore)が弁舌を揮っており,それは巨大資本の「間隙を衝く」という大衆の力への期待を述べるに留まる.本作ではサイレント・マジョリティへの警句の意味合いの方が余程強い.
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原題: THE CORPORATION
監督: マーク・アクバー,ジェニファー・アボット
145分/カナダ/2004年
© 2004 Big Picture Media Corporation