ある男がたどる,夢と現実が曖昧になる恐怖をサスペンスフルな展開で描く.悪夢と現実の狭間の喪失感を表現したスタイリッシュな映像,そして疾走感溢れる謎めいたストーリーが秀逸.ハンサムで自由な恋愛を楽しみ,裕福な生活を送る青年セサル.しかし彼の人生は交通事故で一変.顔は醜く変貌し,恋人からも冷たくされる.そんな中,不可能とされた手術は成功し,全ては元の幸福な生活へと戻ったかに見えたが…. |
夢は人間の隠された欲望を剥き出し,叶えてくれるものとジークムント・フロイト(Sigmund Freud)は考えていた.潜在意識の表象<夢>と,現実知覚という意識の干渉の接点を,意表を衝くアイデアで具象化せしめた映画は,クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)やデヴィッド・リンチ(David Keith Lynch)が見事なシークエンスで作品化してきた.
本作の前半は,胡蝶の夢を思わせるミステリー仕立てで興味をそそる.刹那主義で軽薄なプライドだけで生きてきた青年セサルが,外科手術で外見が一変したことから,ビザールな体験者としての人生を強いられる.自慢の「顔」を失ったセサルは,「正気」をも失ったことが次第に明らかになる.その狂言回しである2人の女性(ソフィアとヌーリア)は,まったく違うタイプで魅力的.
セサルがヌーリアに飽きて,知り合ったばかりのソフィアにいれ上げるところから話は展開するため,彼の夢が「悪夢」へと変わる照明道具にヌーリアは活用されている.単なる嫉妬狂いのように描かれているのが勿体ない.セサルが足を踏み入れ,そこから還ってくるべき世界とは何処か.
結末まで引っ張るセンスは悪くない.しかし,最後にフィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)ばりの感情の混乱とパラドクスで寄り切りを狙う.その手順はスマートではなく,失速感ばかりが強く残る.世界観の非一貫性の結果である.セサル役エドゥアルド・ノリエガ(Eduardo Noriega)は,20代の頃のほうがアクの強い顔つきをしている.
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原題: ABRE LOS OJOS
監督: アレハンドロ・アメナーバル
117分/スペイン/1997年
© 1997 Artisan Entertainment