ブリュノ20歳.ソニア18歳.ソニアはふたりの子供・ジミーを出産したばかり.小さな盗みをしては盗品を売った金でその日暮しをしているブリュノに「真面目に働いて欲しい」とソニアは頼むが,ブリュノは相手にしない.ふたりは職業斡旋所に行くが,ブリュノは長蛇の列を見て辟易してしまう.列にはソニアが残り,ブリュノはジミーを連れて散歩をする.ふと,昨晩取引をした女の言葉を思い出して電話するブリュノ.「いくらで子供を買う?」ブリュノはソニアに黙って,子供を売った…. |
ベルギー東部に位置する労働者の街スランは,豊富な鉄と石炭資源に支えられた鉱山と,肥沃なムーズ河の流れに恵まれた地理的条件から,かつてはベルギー経済を支える重要な工業中心地であった.特に,スランの高炉は約200年間にわたり,製鉄所での「巨人」のごとき轟音とともに,日に4000トンを超える銑鉄を生産し続け,その威厳を誇ってきた.しかし,1950年代に至り,この繁栄も終焉を迎えることとなった.産業の縮小,再編,撤退,そして人員整理が相次ぎ,スランのような工業地帯は衰退の一途をたどったのである.1970年代には,この地方で10万人もの労働者が職を失い,2000年代においてはベルギー全体で失業率が20%に達した.かつて労働者が行き交っていた街並みは,今では貧困層の若者たちがたむろし,窃盗や麻薬密売といった犯罪が横行する場と化している.こうした背景の中で,ダルデンヌ兄弟(Jean-Pierre Dardenne & Luc Dardenne)の映画作品においては,常に「若年層の主人公」が「社会とどう関わっていくか」というテーマが掲げられる.
ダルデンヌ兄弟の映画は,社会のニッチやエアポケットに存在する若者を描くことを通じて,ベルギー社会の根底にある課題を浮き彫りにしている.ベルギーは,フラマン語を話す北部のフランデレン地域と,フランス語系のワロン語を話す南部のワロン地域とに分断されており,宗教的にもカトリックとプロテスタントが棲み分けられるなど,国内における文化的混在状態が続いている.フランデレン地域は工業・サービス業が発展し,対照的にワロン地域(スランを含む)では石炭・鉄鋼業が盛んであったが,これらの産業も現在では衰退している.その結果,失業率はこれら二つの地域で著しい差が生じており,特にワロン地域における若年層の失業は深刻な問題となっている.ダルデンヌ兄弟の映画において,フランデレン地域の生活やその地域の人々は登場せず,一貫してワロン地域との言語圏をめぐる軋轢や対立が描かれる.この背景には,兄弟が生まれ育ったワロン地域の雇用状況に対する憤りがあり,特に若年層の雇用問題に焦点を当てている.
ベルギーにおける若年層の失業率は22%に達し,資格を持たない若者に至っては30%を超える現状があった.この状況を打開するため,ベルギー政府はCPEプログラム(2000年施行)を導入し,全従業員の1.5%から3%を若者から雇うことを企業に義務付けた.しかし,このプログラムの効果は限定的であった.企業に採用される若者は,もともと一定の能力を有する者に限られているため,職業経験も資格も持たない若者たちは,最初から対象外となっていたからである.その枠から漏れた若者たち――ブリュノやソニアのように――は,どう生きていけばよいのだろうか.人生の困難に直面しながらも,他者とのつながりを見出し,少しずつ行動を変えていく若者の姿に,監督のメッセージが込められている.
「生きる力」とは,人生を脅かす困難に立ち向かい,それを乗り越えようとする過程で芽生えるものであり,他者との連帯と信頼こそがその力を支えるものである.「人は変わることができる」という言葉が真に重みを持つのは,社会から希望を奪われ,自ら暗闇をさまよう若者が,他者との関係を通じて自らの存在価値に気づく瞬間である.そして,一筋の光を頼りに,弱々しくも確かに新たな一歩を踏み出そうとする若者のそばには,彼らを支えるかけがえのない他者がいる.このつながりがあれば,どんな困難も乗り越えられると信じられるだろう.しかし,現実には彼らの前には多くの壁が存在する.「ある子供」というタイトルが示唆するのは,主人公たちの子どもではなく,彼ら自身がまだ社会的には「子供」であることを意味しているのだ.いかに幼い存在であろうとも,彼らが社会に対して責任を果たさなければならない時が訪れる.その時に,ただ呆然と立ち尽くすだけの「子供」を生み出してはならないのである.
スランの高炉は,その工業製品としての役割を超えて,実は芸術作品とも言うべき存在であった.19世紀末から20世紀初頭にかけて,アール・ヌーヴォー様式がヨーロッパで流行していた時期,スランで生産された鉄材が,装飾的な建築や家具の制作に多用されたのである.特に,ブリュッセルにあるヴィクトール・オルタ(Victor Horta)設計のタッセル邸や,フランス・パリのメトロ駅の入り口を設計したエクトール・ギマール(Hector Guimard)の作品には,スラン産の鉄が使用されている事実がある.また,スランの高炉は,その巨大な規模から「鉄の巨人」として地元住民に親しまれていた.「鉄の巨人」が稼働する際の轟音は,街の至る所で聞こえ,住民たちはこれを「街の鼓動」として感じ取っていたという.高炉の停止が決まった際には,多くの住民がその音の消失を惜しんだというエピソードが残されている.
ダルデンヌ兄弟が本作を撮影する際に,多くのエキストラが実際にスランやその周辺地域に住む住民であった.彼らは自らの生活環境や経験を基に自然な演技を行い,そのリアリティが映画に独特の緊張感を与えた.ダルデンヌ兄弟は,プロの俳優ではなく,実際にその地域で暮らす人々をキャスティングすることで,社会の現実をより鮮明に伝えようと試みたのである.さらに,撮影の合間にダルデンヌ兄弟は,地域の伝統的な料理をスタッフやキャストと共に楽しむ時間を設けていた.特に,スラン地域で有名な「カーボナード・フラマンド」というビールで煮込んだ牛肉のシチューは,映画製作チームにとって栄養補給として欠かせないものであった.
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原題: L' ENFANT
監督: ジャン・P・ダルデンヌ,リュック・ダルデンヌ
95分/ベルギー=フランス/2005年
© 2005 Les Films du Fleuve