唯物論か観念論か,弁証法とは何か,唯物論的な歴史の見方とは‥‥ドイツ古典哲学を批判的に継承し成立した科学的社会主義の世界観・歴史観の内容を包括的に叙述した基本文献を,多くの訳注を添えて紹介する――. |
出版後,フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)とカール・マルクス(Karl Marx)が展開した思想を簡潔にまとめた貴重な文献として広く読まれた.その一方で,生前のマルクスが直接言及していない論点に関しては,エンゲルスがマルクスの思想から逸脱しているとする批判的な見解も現れた.本書は,マルクス主義の入門書であると同時に,当時から論争の火種となる内容を含んでいた.エンゲルスとマルクスは共に青年期に青年ヘーゲル派に属していたが,次第にルートヴィヒ・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach)の唯物論哲学に影響を受けるようになり,彼の宗教批判や国家批判の考え方が二人に強い影響を与えた.特に,マルクスの「ユダヤ人問題によせて」(1843年)や,マルクスとエンゲルスが共同で執筆した『聖家族』(1844年)にその影響が顕著に表れている.
1845年に執筆された『ドイツ・イデオロギー』において,二人はフォイエルバッハの唯物論を批判し,独自の科学的社会主義,つまりマルクス主義の世界観・歴史観を形成していった.本書の付録には,特に重要な「フォイエルバッハに関するテーゼ」が収録されており,このテーゼはマルクスがフォイエルバッハとの決別を表明したものである.このような青年期からの思想的変遷を経て,エンゲルスは66歳の時に本書の原稿を執筆した.この著作は,彼が長年にわたってマルクスと共に行った研究と実践の成果に基づいて,マルクス主義の哲学的発展を体系的に描いたものである.エンゲルスが本書を執筆する際,彼はすでに高齢であり,友人や同僚たちから「休養が必要だ」と言われていた.しかし,「マルクスの思想を後世に正確に伝えることが自分の使命だ」と語り,疲労を押して執筆を続けたという.
エンゲルスはマルクスが1860年代にフォイエルバッハに関する議論をどのように考えていたのかを常に気にかけており,その視点を可能な限り正確に反映しようとした.本書が1888年に出版されるまでの過程は,当時の社会主義運動や政治的状況に大きく影響された.エンゲルスが執筆を開始した1885年,ヨーロッパでは社会主義運動が次第に広がっていたが,同時に各国政府による弾圧も強まっていた.特にドイツでは,ビスマルク内閣の社会主義者鎮圧法の影響で,社会主義運動は厳しい制約を受けていた.このため,エンゲルスは一部の内容を慎重に表現せざるを得なかった.本書が最初に発表された"Die Neue Zeit"は,ドイツ社会主義労働者党の機関誌で,当時の社会主義者たちにとって重要なメディアであった.この雑誌自体も政府からの監視対象であり,編集部とエンゲルスは当時の情勢に配慮しながら執筆を進めていた.
エンゲルスは,可能な限り自由な表現を求めながらも,政治的な弾圧を避けるためのバランスを取ることに苦心した.本書が日本で紹介されたのは20世紀初頭のことで,日本では当時,マルクス主義が急速に広まりつつあった.興味深いことに,日本での初期の紹介者たちはこの書を「書評」という文脈ではなく,哲学書として捉え,当時の日本の知識人に深い影響を与えたと言われている.また,エンゲルスの書き方がマルクスに比べて「親しみやすい」とされたこともあり,日本での読者層は徐々に広がっていった.エンゲルスは,この著作を執筆する際,常にマルクスとの友情を意識していた.特に,彼はマルクスの思想が誤解されないようにすることを自身の使命として捉えており,マルクスの死後もその思想を守るために多くの時間を費やした.『フォイエルバッハ論』も,その一環として彼がマルクスの遺産を忠実に伝えるための努力の結晶であった.
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Title: LUDWIG FEUERBACH UND DER AUSGANG DER KLASSISCHEN DEUTSCHEN PHILOSOPHIE
Author: Friedrich Engels
ISBN: 4406026193
© 1998 新日本出版社