▼"Beyond the Wall" Katja Hoyer

Beyond the Wall: East Germany, 1949-1990

 In 1990, a country disappeared. When the iron curtain fell, East Germany simply ceased to be. For over forty years, from the ruin of the Second World War to the cusp of a new millennium, the GDR presented a radically different German identity to anything that had come before, and anything that exists today. Socialist solidarity, secret police, central planning, barbed wire: this was a Germany forged on the fault lines of ideology and geopolitics――.

 ドイツ(GDR)の消滅という歴史的瞬間を深く掘り下げ,単なる「失敗国家」として片付けられがちなGDRの多面性を描き出した野心的な文献だ.消滅したGDRは,西側のステレオタイプや冷戦期のプロパガンダに挑戦し,ただの抑圧的な監視国家ではなかったことを示す.これにより,読者はGDRの歴史をより豊かで複雑なものとして理解することができる.GDRを象徴する一つのエピソードとして,ベルリンの壁にまつわる逸話がある.1961年に建設された「壁」は,公式には「反ファシスト防壁」として東ドイツ国内でプロパガンダされていたが,実際には国民が西側へ逃げることを防ぐ目的で築かれた.冷戦の象徴ともなった壁は,約28年間にわたり東西ベルリンを分断し,その間に約5,000人がこの壁を越えようと試み,その多くが命を落とした.その一方で,壁のすぐそばに住む住民たちは,家の窓からジャンプして脱出するという大胆な手段を使ったことも知られている.壁の崩壊(1989年)までに100人以上が壁に隣接する建物から命がけの脱出に成功している.

 著者はまた,GDRのスポーツ分野での異常な成功についても触れている.冷戦期,東ドイツはオリンピックで圧倒的な成績を収めたが,その背景には国家的なドーピング計画があったことが後に明らかになった.1976年のモントリオールオリンピックでは,人口わずか1,600万人のGDRが,アメリカやソビエト連邦を凌ぐ数の金メダルを獲得した.この驚異的な成果の背後には,GDRのスポーツ当局が選手たちにドーピングを強制的に行っていた事実があった.この秘密は,統一後に選手たちの告白や公的記録の公開によって明らかになり,多くの元選手が後に健康被害を訴えたという悲劇的な側面も含まれている.東ドイツの日常生活において,かつて国民に広く愛された「トラバント」(Trabant)という小型車があった.この車は,GDRの経済状況を象徴する存在だった.トラバントは軽量で価格も安価だったが,その性能は劣悪で,待機リストに何年も名前が載るのが普通だった.それにもかかわらず,皮肉にもベルリンの壁崩壊後には,この車に乗って西側に向かう市民の姿が世界中のメディアで報じられた.これは,トラバント東ドイツの象徴であり続けたことを示している.

 トラバントの車体は鉄ではなく,なんと「デュロプラスト」というプラスチックで作られていた.これは鉄の不足を補うための苦肉の策であったが,耐久性においては問題が多かった.また,GDRにおける文化や音楽も,重要な役割を果たしている.東ドイツの若者たちが西側からの文化的影響をどのように取り入れていたかは興味深い.たとえば,東ドイツの政府は公式にはロック音楽やパンクを禁止していたが,地下文化としてこれらの音楽が流行した.特にビート音楽(Beatmusik)は,西側の影響を強く受けていたため,当局によって厳しく取り締まられたが,若者たちは西側のラジオを密かに聞きながらその音楽を楽しんでいた.また,東ドイツでは西側の服装やスタイルを真似ることも禁止されていたが,密輸されたジーンズを着て街を歩くことが一種の抵抗の象徴とされていた.これにより,若者たちの間では「ジーンズを履くこと」が反体制的なアクションとして認識されるようになった.

 GDRの社会情勢を語る上で忘れてはならないのは,プラッテンバウ(Plattenbau)という東ドイツ独自の集合住宅群だ.これらのコンクリートで作られた大量生産型の住宅は,東ドイツ政府が国民に提供した安価な住居だったが,そのデザインは非常に単調で,いわゆる「ソ連型の無機質な建物」として西側から揶揄された.しかし,当時の市民にとってはこのプラッテンバウは「夢の家」であり,特に家族を持つ者にとっては生活の基盤となる重要なインフラだった.皮肉にも,こうした建物は現在でも旧東ドイツ地域に多く残っている.著者はこうしたエピソードを交えつつ,GDRが単に抑圧と監視の国家だったわけではなく,文化的・社会的に豊かな側面もあったことを描き出す.もちろん,本書が東ドイツのネガティブな面を完全に無視しているわけではない.むしろ,西側の冷戦的な一面的な見方に反論し,東ドイツの多様性をより立体的に理解させることを意図しているのだ.

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Title: BEYOND THE WALL - EAST GERMANY, 1949-1990

Author: Katja Hoyer

ISBN: 0141999349

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