▼『世界青春放浪記』ピーター・フランクル

世界青春放浪記 僕が11カ国語を話す理由 (集英社文庫)

 世界的数学者にして大道芸人ハンガリーに生まれ,26歳でフランスに亡命.イギリス,アメリカ,スウェーデン,インドなどを旅したのち日本に定住する‥‥アウシュヴィッツで殺された祖父母のこと,医者の両親の愛情につつまれた少年時代.数学オリンピックでの金メダル獲得とパリ留学.天才数学者たちとの出会い,兵役,そして恋愛.大道芸と数学を愛し,自由を探し求めた波瀾万丈青春記――.

 ベラルアーツの学問は,一般的に「非実学」として見なされ,就職市場において軽視されがちである.哲学,文学,数学などの分野は,直接的な利益を生むとされる経営学や経済学に比べ,企業からの需要が低い.しかし,このような実用性の観点からのみリベラルアーツを評価することは,真の価値を見誤る.リベラルアーツは人間の知的成長や文化的理解を深め,社会全体の発展に貢献する重要な要素である.企業の多くが利益を追求するあまり,短期的な成果を重視するのは理解できる.しかし,リベラルアーツの学問が提供するのは,即時的な利益をもたらすスキルではなく,社会や個人に対する長期的な価値.ある芸術学の修士号取得者が「労力に報われない経歴」として扱われた事例が示すように,企業はしばしば「実用性のない」学問を軽視する.

 このような見方は短絡的であり,社会の複雑な問題を解決するためには,多様な視点と深い洞察が必要であることを忘れてはならない.ピーター・フランクル(Péter Frankl)の人生は,リベラルアーツがいかにして個人の可能性を広げ,社会に貢献できるかを示している.フランクルは,数学の分野で世界的な業績を上げながらも,ジャグリングや語学においても卓越した才能を発揮している.数学の「組合せ数学」という高度な分野を専門としており,学問に対して深い情熱を持ち続けている.この情熱が,リベラルアーツが提供する本質的な価値である「知的探求の喜び」を象徴しているといえるだろう.フランクルは11ヶ国語を流暢に操り,各国で大学講義を行うことができるという点でも際立っている.彼の語学力は単なる技術的な能力にとどまらず,その言語を通して文化や歴史,思想に触れようとする知的好奇心の現れである.

 これはリベラルアーツが養う「異文化理解」の一例であり,現代のグローバル社会においてますます重要視されているスキルだ.言語習得においても,彼は各国の哲学書や数学のテキストを通じて学びを深めており,異なる文化圏の思考様式に適応し,理解する能力を培っている.リベラルアーツの本質的な価値は,狭義の「実用性」だけでは捉えきれないものである.フランクルのように多才な人物が示すように,学問は人生そのものを豊かにし,異なる分野や文化とのつながりを深める力を持っている.数学とジャグリングのような一見異なる分野が,彼の中では集中力や創造性という共通の基盤を通じて結びついているのは,リベラルアーツ的な広範な視点と統合的な思考の賜物であろう.

 フランクルユダヤ人としてのアイデンティティを持ち,東欧での厳しい差別を経験しながらも,知識を唯一の財産と捉えて生き抜いてきた.彼の父親が常に「人間の財産は頭と心の中にあるものだけだ」と教えていたことは,知的探求に深い影響を与えた.フランクルは,知識こそが人間の尊厳を守り,逆境を乗り越える力となることを身をもって示している.この教えが,学問への姿勢や多言語習得への意欲に繋がっているのは明らかである.フランクルは日本に深い愛着を持ち,最終的に日本を永住の地として選んだ.日本文化に対する理解と敬意は,リベラルアーツの持つ「異文化理解」の力を象徴している.どのようにして日本にたどり着き,なぜ日本を選んだのかについては,本書だけでは十分に語られていないが,続編『僕が日本を選んだ理由—世界青春放浪記2』でその詳細が明かされている.

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原題: 世界青春放浪記―僕が11カ国語を話す理由

著者: ピーター・フランクル

ISBN: 4087474356

© 2002 集英社