▼"Vienna, 1814" David King

Vienna, 1814: How the Conquerors of Napoleon Made Love, War, and Peace at the Congress of Vienna

 Vienna, 1814 is an evocative and brilliantly researched account of the most audacious and extravagant peace conference in modern European history. With the feared Napoleon Bonaparte presumably defeated and exiled to the small island of Elba, heads of some 216 states gathered in Vienna to begin piecing together the ruins of his toppled empire――.

 ヨーロッパ史における最も重要で豪奢な和平会議の一端.1814年,ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)が一度は敗北しエルバ島へ追放されたことを受け,ヨーロッパ各国の指導者たちはウィーンに集結し,彼の崩壊した帝国の再編に取り組むこととなった.この会議には,オーストリア,ロシア,プロイセン,イギリスなどの列強に加え,216にものぼる小国の代表が参加した.会議での最大の課題は,フランスの処遇,ナポレオン支配から解放された領土の再編成,そして戦争によって犠牲となった多くの人々への賠償問題であった.しかし,表向きの重要な議題の裏では,個人的な対立や利害関係が複雑に絡み合い,和平を進める上での障害となっていた.ウィーン会議は,単なる外交的な取り決めの場ではなかった.オーストリアメッテルニヒ公(Klemens Wenzel Lothar Nepomuk von Metternich-Winneburg zu Beilstein)は,革命の拡大を阻止し,保守的な秩序を維持することを第一の目標としていた.革命的な動きや自由主義的な思想をヨーロッパ全土に広げないため,王侯貴族による反革命体制を作り上げた.

 ウィーン体制は,その後40年近くヨーロッパの政治的秩序を支配し,各国の王権を再強化する基盤となった.このような外交的な努力は,各国の利害を調整しつつ,革命の再燃を防ぐという複雑な目的を達成するために行われたものである.しかし,会議の舞台裏では,外交的駆け引きだけでなく,華麗な社交と豪勢な宴が日常的に繰り広げられていた.ウィーン会議の別名が「踊る会議」と呼ばれるように,会議の進行はしばしば舞踏会やパーティーで遅延し,参加者たちは社交界での名声を競い合っていた.メッテルニヒ公は,その虚栄心で知られており,肖像画の出来栄えに不満を抱いたというエピソードも伝えられている.フランス代表のタレーラン公(Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord)は,かつてナポレオンの側近であったにもかかわらず,冷静かつ狡猾な外交手腕を発揮し,フランスを国際社会に復帰させることに成功した.彼は,ナポレオンの支配下にあったフランスを巧みに擁護し,国際的な非難をかわす一方で,フランスの利益を守るための策略を巡らせていた.

 また,ロシア皇帝アレクサンドル1世(Aleksandr I)も,この会議において重要な役割を果たした.神秘主義に傾倒し,しばしば「神から使命を受けた王」としての役割を果たそうとしたアレクサンドル1世は,宗教的な信念と自己の権威を融合させることで,ヨーロッパにおけるロシアの影響力を強化しようとした.しかし,このような王族たちの個人的な意図や欲望は,しばしば会議の進展を妨げる要因ともなった.ウィーン会議のもう一つの側面は,その豪華さと華麗さにあった.会期中に開催された舞踏会や宴会は200回以上にも及び,ウィーン市民だけでなくヨーロッパ中から注目を集めた.バレリーナエミリア・ビゴッティーニ(Emile Bigottini)は,その優美な踊りで多くの観客を魅了し,同時期にはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven)が《第九交響曲》の作曲を進めていたというのも興味深い事実である.このような文化的な華やかさは,ウィーン会議の公式な議題とは別に,社交界における「名士崇拝」の初期形態を形成した.

 政治家や貴族たちは,舞踏会や宴会の場で自らの地位や影響力を誇示し,世間の注目を浴びることを重視していた.ウィーン会議の進行はしばしば遅延し,その背景には派手な社交イベントや個人的な争いがあったが,ナポレオンがエルバ島を脱出したという知らせが届くと,事態は一変した.このニュースはウィーン会議の参加者たちを驚かせ,すぐに各国は再び戦時体制に戻った.ナポレオンは一時的に権力を取り戻したが,最終的にはワーテルローの戦いで敗北し,その後は「百日天下」として歴史に刻まれる短命な復活に終わった.ウィーン会議は,このナポレオンの脅威を再び封じ込めた後に終了し,ヨーロッパは「長い平和」と呼ばれる時代に突入することとなった.本書は,こうしたウィーン会議の複雑な背景とその結果を見事に描写している.会議は表向きには華やかな宴会や享楽に彩られたものであったが,その背後ではヨーロッパ全土の勢力均衡を再構築するための真剣な議論が行われていた.この会議の決定は,近代ヨーロッパの歴史を根本から変え,その後の40年にわたる平和と安定をもたらした.

++++++++++++++++++++++++++++++

Title: VIENNA, 1814 - HOW THE CONQUERORS OF NAPOLEON MADE LOVE, WAR, AND PEACE AT THE CONGRESS OF VIENNA

Author: David King

ISBN: 0307337170

© 2009 Crown