▼"Sport and Body Politics in Japan" Wolfram Manzenreiter

Sport and Body Politics in Japan (Routledge Research in Sport, Culture and Society)

 There is more to Japanese sport than sumo, karate and baseball. This study of social sport in Japan pursues a comprehensive approach towards sport as a distinctive cultural sphere at the intersection of body culture, political economy, and cultural globalization. Bridging the gap between Bourdieu and Foucault, it explains the significance of the body as a field of action and a topic of discourse in molding subject and society in modern Japan――.

 ポーツを身体文化,政治経済,文化的グローバリゼーションの交差点として捉え,日本におけるスポーツの独自の文化的領域を包括的に分析している.分析の柱となるのが,ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu)とミシェル・フーコーMichel Foucault)の理論であり,スポーツが個人と社会,そして国家の関係性を形成する方法を理解するための鍵となる.ブルデューは,スポーツが社会的階層や資本の反映であると考えた.その理論によれば,個人が持つ資本(文化資本,社会資本など)やハビトゥス(習慣や体験によって形成される行動様式)が,スポーツの選択や実践に影響を与える.日本ではゴルフやテニスが富裕層に好まれる一方で,野球やサッカーは大衆的なスポーツとして広く親しまれている.これは,ブルデューの理論における文化資本の違いとして説明できる.昭和時代の高度経済成長期において,野球は「国民的スポーツ」としての地位を確立した.読売新聞社が設立した読売巨人軍(1934年)は,日本プロ野球の象徴的な存在となり,特に戦後のプロ野球ブームは,GHQ連合国軍総司令部)の政策によっても後押しされた.GHQは,戦後の混乱期に娯楽を提供することを通じて国民の士気を高めるため,野球や他のスポーツの振興を支援した.

 こうした背景には,スポーツを通じて新しい「民主的な」文化を形成しようとする試みもあった.さらに,ブルデューハビトゥスは,武道の実践においても顕著である.柔道や剣道といった伝統的な武道は,単なる競技の枠を超えて,行動様式や倫理観を伴うものとなっている.柔道の「精力善用」「自他共栄」といった理念は,個々の技術的な鍛錬のみならず,社会全体への貢献を重視する.このような武道のハビトゥスは,身体的技術を磨くことが,同時に精神的な成長や社会的調和を目指すものであるとされ,西洋的な個人主義のスポーツ文化とは異なる側面を持っている.一方,フーコーは,身体が社会的・政治的な管理の対象となり,権力が身体を通じて行使されると説いた.フーコーの「規律と監視」の概念は,スポーツや身体教育がどのように国家や制度によって統制されてきたかを理解するための鍵である.明治時代の日本では,西洋から取り入れた体操教育が国家の強化を目的として導入された.ドイツ式体操は日本の学校教育に組み込まれ,国民の身体を規律化する手段として機能した.スポーツは国家にとっての重要な政策ツールとなり,特に軍事的な目的と結びついていた.

 1928年のアムステルダムオリンピックで日本がメダルを獲得した際,それが男子競泳の金メダルであった.当時の日本にとって,国際的な舞台での成功を象徴するものとなり,以降,オリンピックは国威発揚の重要な舞台として位置づけられた.1964年の東京オリンピックでは,日本の復興と技術力を世界に示すことが重要視され,国際的なステータスを高めるために政府がスポーツを戦略的に利用した.オリンピックでは,フーコーの理論的枠組みで言えば,国家が国民の身体を通じて国際的な影響力を行使し,規律化された国民像を世界に示す場であった.また,近年では,スポーツ庁の設立や「健康日本21」といったプロジェクトを通じて,国民の健康維持や運動促進が重要視されている.これもまた,国家が国民の身体を管理し,社会的な目標を達成するための手段としてスポーツが活用されている一例である.少子高齢化が進む日本において,健康を促進することで医療費の抑制や労働力の維持を図るといった政策が取られているが,これもフーコーの「生権力」の概念と関連しているだろう.

 スポーツと経済は,日本においても密接に結びついている.たとえば,Jリーグの設立は,1990年代のバブル経済崩壊後の国民の士気を回復させ,地域経済の活性化を図るためのプロジェクトでもあった.スポーツイベントは経済的利益を生むと同時に,地域社会の絆を強める効果もある. 1977年から始まった日中卓球交流の「ピンポン外交」は,スポーツが国際関係の改善に寄与する象徴的な出来事であり,冷戦時代の緊張を和らげる役割を果たした.さらに,日本発祥の柔道が国際的なスポーツとして普及した背景には,スポーツを通じた文化的外交があった.1964年の東京オリンピックで柔道が正式競技に採用されたことは,日本の文化的影響力を高める一助となり,現在でも世界中で柔道は広く行われている.スポーツが日本のソフトパワーとして機能していることがわかる.このように,ブルデューの資本とハビトゥスフーコーの規律と権力の理論を融合することで,日本におけるスポーツの役割がより明確になる.スポーツは単なる娯楽や競技ではなく,社会的階層,政治的権力,文化的アイデンティティが交差する複雑な文化的実践である.個人はスポーツを通じて自己を成長させ,同時に国家や社会の目標に貢献する.スポーツの実践は,個人の身体的・精神的な成長と,社会全体の構造に影響を与える力を持っているのである.

++++++++++++++++++++++++++++++

Title: SPORT AND BODY POLITICS IN JAPAN

Author: Wolfram Manzenreiter

ISBN: 1138952893

© 2015 Routledge