1933年,アメリカ.大恐慌の暗澹たる時代の中,銀行強盗のジョン・デリンジャーは“黄金時代”を謳歌していた.利益を独り占めする銀行のような強者からは金を奪っても,世間一般の弱者からは一銭たりとも奪うことはしないという独特の美学を貫きとおす彼は,その紳士的な振るまいと圧倒的なカリスマ性によって,いつしか不況に苦しむアメリカ市民のヒーロー的存在となっていた.そんなある日,彼はバーで神秘的な魅力に溢れた女性,ビリーと運命的に出会う…. |
ジョン・デリンジャー(John Herbert Dillinger Jr. )が「銀行強盗をやっているんだ」と語ったのは,まるで職業紹介のような冷静な自己紹介だった.それは真実であり,彼が生きた道そのものだった.刑務所を脱獄し,最後にシカゴの路地で息を引き取るまでのわずか13か月間,デリンジャーは数々の銀行を襲撃し,名を轟かせた.本作は,観客にデリンジャーの人間性を美化したり感傷的にすることを拒む.デリンジャーにとって,銀行強盗は単なる職業ではなく生き方そのものだった.「ロビン・フッド」として描かれることもあったが,映画は神話に振り回されることなく,デリンジャーの冷徹さと狡猾さを描く.銀行家から金を奪い,時には客に自分の金を持ち帰らせるという優しさも見せたが,それも計算の上だった.彼が愛したのはおそらく女性よりも金品強奪そのものであり,目の前のリスクに挑むことがビジネスだった.
ジョニー・デップ(Johnny Depp)演じるデリンジャーは,冷静で合理的,暴力的な男として描かれる.FBIから"Public Enemy No.1"に指名された姿には,1930年代にハリウッドが作り出したギャング像が重なる.その時代のギャングたちはハリウッド映画のスタイルを模倣し,彼ら自身がハリウッドの産物でもあった.デリンジャーもまた,映画好きであり,人生最後の夜にはクラーク・ゲーブル(Clark Gable)主演の映画を観に行ったという.デリンジャーにとってシステムとは,自由を奪う刑務所,資金を管理する銀行,そして自分の行動を阻む警官である.システムに反抗し,時には警察署にさえ堂々と乗り込む大胆不敵な振る舞いを見せた.このエピソードは「デリンジャーの無敵神話」を象徴する瞬間であり,観客にはエゴではなく,自らにかけた「魔法」であるように映る.
本作は,デリンジャーが脱獄したクラウン・ポイント刑務所での撮影,潜伏したリトル・ボヘミア・ロッジ,バイオグラフ劇場周辺のセットの細部に至るまで,当時の雰囲気を再現し,登場人物がその時代に実在したかのような臨場感を醸し出している.クリスチャン・ベイル(Christian Charles Philip Bale)演じるメルヴィン・パービス(Melvin Horace Purvis Ⅱ)もまた,徹底したプロフェッショナリズムでデリンジャーを追う.パービスは,ジョン・エドガー・フーヴァー(John Edgar Hoover)率いるFBIの冷酷さと共に犯罪を憎み,デリンジャーを追い詰める.しかし,FBIの理想像を押し付けるフーバーとパービスの間には温度差があり,リトル・ボヘミアでの大惨事の後,パービスがフーバーに対して「実戦経験を持つ人材を呼べ」と訴える場面には,FBIの内部の葛藤が浮き彫りにされている.最後に描かれる"レディ・イン・レッド"もまた,映画では伝説的な赤いドレスではなく,実際には白いブラウスにオレンジのスカートを着ていたことが描かれる.
史実を無視し,観客の期待に応えて伝説通りに描くこともできただろうが,事実を優先し,神話を美化することなく冷徹なリアリズムに徹した.デリンジャーの強盗としての冷酷さとシステムへの挑戦を描きながら,彼をヒーローでもアンチヒーローでもなく,ただの冷徹な犯罪者として提示する.そのため,観客はデリンジャーの行動を「知っているつもり」でいたことに気づかされ,内面や魅力に触れることなく,彼の物語の一端に触れるだけで終わる.デリンジャーが脱獄したクラウンポイント刑務所は70年代に閉鎖され,歴史博物館に改装されていたが,映画製作時には1933年当時の姿に修復された.また,リトル・ボヘミアでの銃撃戦も,実際のロッジで撮影されており,デップはデリンジャーがかつて泊まった部屋に宿泊した.インディアナ州の博物館でデリンジャーの手紙を読み,殺害された夜に履いていたズボンも試着し,そのサイズが自分にぴったりだったと語っている.
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原題: PUBLIC ENEMIES
監督: マイケル・マン
141分/アメリカ/2009年
© 2009 Universal Studios