著者の回想は,第一次大戦の軍需景気に沸き立つ東京の下町での少年時代から,俊英少壮の学者として迎えた敗戦の日にまで及ぶ.日本現代史を背景に,苦悶と焦燥のうちに過ごした暗い激動の日々を描く.特に直接関係のあった「河合事件」の記録は圧巻である――. |
大正から昭和初期にかけての激動する日本社会を舞台に,経済学者大河内一男の思想と実践の軌跡を紡いだ自叙伝である.戦争や災害,思想的な対立を通じて,日本の経済学と社会政策に深い足跡を刻んだ.その道程には,第一次世界大戦の軍需景気に浮かれる日本,関東大震災後のデマや混乱,東京帝国大学内外での激しい派閥争いが含まれており,これらの出来事が研究の礎となり,大河内理論を貫く思想を形作っていく.本書を通じて,単なる学術理論ではなく,時代のうねりと切実に向き合った知識人としての大河内の姿が浮かび上がる.大河内の象徴的な言葉「太った豚より痩せたソクラテスになれ」は,東大総長を辞任した際の発言であり,その背景にはソクラテス(Socrates)が「無知の知」を説き,自らの信念を貫いた生き方が反映されている.
戦時下の日本では,学問が時代の圧力に屈することが珍しくなく,大学も国家に貢献するための「有用な学問」が求められる空気に包まれていた.大河内の言葉は,社会の流れに迎合せず,信念を貫く学問の尊さを自らの体験をもって示したものである.この発言は,当時の日本の学問界にとって痛烈な警鐘であり,現在でも学問の自由や知識人のあるべき姿を問いかける象徴として語り継がれている.本書には,生産力理論や分配理論の確立に至るまでの道のりが詳述されている.大河内の掲げる社会政策は,労働者の権利保護や貧困対策を軸にし,資本主義の弊害に対する解決策を提示するものであった.戦時下においても労働組合の可能性に言及し,日本の社会政策の根幹を形成する「共生社会」の概念を模索していた.当時,労働組合の本格的な活動は戦後を待たなければならなかったが,大河内の視点は先駆的であり,戦後の社会政策が資本家と労働者の対立を越え,協調の土台の上に築かれていく理論的支柱となった.
特筆すべきは,同僚であった河合栄治郎との関わりと「河合事件」である.河合は,日本における社会主義思想の支持者であり,政府の抑圧に屈することなく,著書『ファッシズム批判』でその思想を公然と批判した人物であった.結果として,河合は大学を追放されるに至るが,大河内は彼の思想の自由を守るために尽力し,学問の独立性を強く支持した.この事件は大河内自身にとっても思想的な洗礼となり,学問と政治の相克を理解する機会となった.学問が国家に屈することなく社会に寄与するべきだと考え,「社会政策」における思想的な柔軟性と独立性の必要性を一層認識するに至る.この事件は,大河内の社会政策研究に影響を与えただけでなく,「社会正義」への姿勢をも決定づけるものであった.また,経済学部内で繰り広げられた派閥抗争や戦時下における学問の抑圧についても,詳細に描かれている.
戦時中の日本では,国策としての「国益」に沿う学問が求められ,経済学も例外ではなかった.大河内は,経済学が戦争の道具となることへの危機感を強く抱き,学問が社会と国家の枠を超えて独立した批判の場であるべきだと主張した.この信念は,社会政策を通じて追い求めた経済学の本質そのものであり,経済学が国益に奉仕するだけでなく,社会の弱者や労働者を支える存在であるべきだという信念の表れである.絶版である本書だが,大河内の人生と思想の総決算であり,日本の現代経済学と社会政策を理解するうえでの貴重な資料といえる.大河内が学問と信念を貫きながら歩んだ道は,単に個人の歴史にとどまらず,戦後日本の社会政策や労働環境の基盤ともなり得る一つの指標となっている.時代に刻んだ「学問の尊厳」「社会的正義」は,今なお鮮烈な主張として受け止められる.
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原題: 暗い谷間の自伝―追憶と意見
著者: 大河内一男
ISBN: 4121005414
© 1979 中央公論社