■「ザ・バニシング -消失-」ジョルジュ・シュルイツァー

ザ・バニシング-消失- [Blu-ray]

 オランダからフランスへと車で小旅行に出掛けていたレックスとサスキア.立ち寄ったドライブインで,サスキアは忽然と姿を消してしまう.必死に彼女を捜すも手掛かりは得られず,3年の歳月が経過.依然として捜索を続けるレックスの元へ,犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始め….

 踪と絶望の物語は,深く不安を掻き立てると同時に,観る者の心に不気味な静寂を残す.日本国内においても家出人の行方が判明しないケースが33%に上り,そのうち1週間以内に命を絶つ者は70%に及ぶ.こうした統計が示す現実は,家族や友人にとって日常の安心が崩れ得る恐怖の裏返しであり,家出が自殺と密接に関わる可能性を示唆するものである.加えて,捜索願が出されていない潜在的な家出人も20万人を超えるとされ,私たちの日常は見えない喪失で満ちている.レックスと恋人サスキアの失踪は,こうした「行方不明」という不条理を物語の軸に据え,観る者にその残酷さをじわじわと突きつけてくる.恋人を失ったレックスの苦悶の日々は,観客にとっても耐え難いものだ.

 物語の焦点が後悔と無力感にあるため,その感情が共感を呼び,一層の緊張感が生まれる.しかし,レックスに近づく犯人の常軌を逸した行動は,次第に観る者の内側に暗い恐怖を広げる.犯人の「大学教授」「よき家庭人」としての隠れ蓑は,他者を欺くための完璧な仮面であり,その下に潜む狂気が少しずつ顔を覗かせる過程が,じわじわと恐怖を増幅させる.異質な不気味さを放つ理由のひとつは,犯人の心理過程が静かに,冷徹に明かされることにある.好奇心を満たす「実験」としての誘拐計画は綿密に練られ,その背後には人間性を欠いた計算と観察が隠されている.家族との温かい日常を送りながら,もう一方では無辜の人間を罠にかける行動は,善悪の境界を曖昧にし,私たちの価値観を揺るがす.

 犯人はただ邪悪な存在ではなく,その周到さと日常性に,誰にでも潜在し得る闇を感じさせるのだ.さらに,本作は偶然と善意という要素に重きを置く.誘拐が成功するまでの試行錯誤を経て,最終的な決定打となったのは,サスキアの善意と偶然の重なりである.この点が作品に底知れない不気味さを加えている.誰にでも起こり得る偶然の中で,無意識のうちに罠にはまっていくサスキアの姿は,観る者に「もし自分が」と思わせ,緊張を極限に高める.誘拐犯の計画は,人間の行動や心理に精通した巧妙な罠であり,物語全体を通じて観客をも絡め取る.サスキアが夢で見た「2つの黄金の卵」は,光と闇,希望と絶望の象徴として,作品全体に陰影を与えている.

 「もう離れない」と誓った直後に襲われるという運命の皮肉は,観る者に強烈な無力感を与え,暗い結末を予感させる.さらに,レックスがサスキアとの約束を果たそうとする「トンネルからの脱出」の試みは,犯人の手により冷たく絶たれ,観る者に容赦なく絶望を突きつける.本作の魅力は,スリラーやミステリーとしての緊張感にとどまらない.人間の暗い側面,日常に潜む狂気,善悪の曖昧さを鋭く突きつけることで,観客を心理的に揺さぶり続ける.犯人がじっとりと見守る冷ややかな眼差しとともに,サスキアとレックスの運命は冷徹な結末を迎え,残酷な現実が最後まで尾を引く.この物語は,私たちの心にいつまでも居座り,安易な救いを拒む.

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原題: SPOORLOOS

監督: ジョルジュ・シュルイツァー

102分/オランダ=フランス/1988年

© 1988 Argos Films