▼『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』ナンシー・フレイザー

資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか (ちくま新書)

 なぜ経済が発展しても私たちは豊かになれないのか.それは,資本主義が私たちの生活や自然といった存立基盤を餌に成長する巨大なシステムだからである.資本主義そのものが問題である以上,「グリーン資本主義」や,表面的な格差是正などは目くらましにすぎず,根本的な解決策にはなりえない.破局から逃れる道はただ一つ,資本主義自体を拒絶することなのだ‥‥世界的政治学者が「共喰い資本主義」の実態を暴く話題作――.

 代資本主義の暴走を鋭く告発し,根本的な社会変革を訴える本書の核心は,「共喰い資本主義」という強烈なメタファーにある.資本主義は,自然,労働,ケア,そして民主主義を際限なく搾取し,その存立基盤を自ら食い尽すという暴露である.本書の主張する資本主義の環境破壊について,1930年代アメリカ中西部の大平原に起きた砂嵐「ダストボウル」でいえば,環境破壊は,農業資本主義が利益を優先して持続可能性を無視した結果であった.現代のアマゾン熱帯雨林の伐採は,同様の構造的問題を示している.アマゾンでは,1分間に約3個のサッカー場分の森林が失われているとされる.このような環境破壊は,資本主義の利益追求が自然の再生能力を超えて行われていることを象徴している.

余剰を民主的に配分しなければならない.そしてまた,将来的にどのくらい過剰に生産したいのか,そして実際,地球温暖化の問題に直面しているというのに,本当に余剰を生産したいのかどうかについても,民主的な方法で決定しなければならない

 ケア労働の軽視については,日本の「介護離職」問題が鮮明な事例となる.高齢化社会が進む中,介護の必要性は増大しているが,その負担が家族や女性に集中している.実際,年間約10万人が家族の介護を理由に仕事を辞めざるを得なくなっているという.この現象は,資本主義が家庭内の無償ケアを当然視している構造的な問題を示している.加えて,ケア労働のグローバルな側面も無視できない.たとえば,フィリピンの「海外フィリピン人労働者」(OFW)の多くが介護職として派遣されている.彼らの送金はフィリピン経済の約10%を占めており,母国の経済を支えながらも,受け入れ国では低賃金と過酷な労働条件に苦しんでいる.このような現実は,資本主義がケアをグローバルな階層構造の中で搾取していることを明確にしている.パンデミックが資本主義の矛盾を一層際立たせた点にも注目すべきである.

 2020年コロナ禍においては,多くの国で医療従事者などエッセンシャルワーカーが英雄視されながらも,劣悪な労働環境や低賃金に苦しめられていた.この矛盾は,イギリスの医療制度(NHS)が直面した危機で顕著であった.NHSの医療従事者の約14%は移民労働者であり,その多くがパンデミック中に過剰な負担を強いられた.この現実は,資本主義がグローバルな移民労働を利用し,その価値を最大化しながら個々の権利や尊厳を軽視している構造を浮き彫りにしている.資本主義が民主主義を蝕んでいる点についても,歴史的視点が重要である.19世紀末のアメリカでは,金ぴか時代(Gilded Age)と呼ばれる資本の集中と政治腐敗の時代があった.この時代,鉄道王や石油王といった巨富を築いた実業家が政治に多大な影響を及ぼし,公共の利益は二の次にされた.21世紀の現在,この構造は「シチズンズ・ユナイテッド判決」によって新たな形で再現されている.

 2020年のアメリカ大統領選挙では,選挙資金の上位1%が全体の40%以上を提供していた.このような富の集中と政治的影響力の偏りは,資本主義が民主主義の基盤をむしばんでいることの証である.本書の価値は,これらの危機を単独の現象としてではなく,資本主義の構造的問題として統一的に捉えている点にある.「搾取」と「収奪」という二つの概念を軸に,資本主義がいかにして生産と再生産の間のバランスを崩しているかを分析し,収奪が今日のグローバル経済において急速に拡大している点は重要である.著者の提示する希望は,このような資本主義の矛盾を超えて新たな社会的再生産の秩序を構築することである.現代資本主義の病理を分析し,その限界を超える道筋を描き出そうと試みる本書は,資本主義の暴走を止めるための理論的基盤を提供するだけでなく,歴史的な教訓と現代のデータを結びつけ,包括的に資本主義を再考するものといえるだろう.

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Title: CANNIBAL CAPITALISM

Author: Nancy Fraser

ISBN: 9784480075659

© 2023 筑摩書房