2010年代以降の80本以上の劇場公開作品を,戦争と分断,日本の権力者の戦争責任,原発,「赤狩り」と戦後アメリカ映画の軌跡,「山田洋次が見失ったもの」,『万引き家族』の衝撃,老親介護,子どもの受難,労働運動の衰退と再生などをテーマに論じる.労働研究の泰斗による珠玉の映画評論集であり,2010~20年代の現代社会論――. |
映画という芸術メディアがもつ社会的・歴史的意味を掘り下げ,現代社会の多層的な側面を照射する映画評論集である.映画を娯楽として消費するのではなく,現代社会の構造や人々の生きざまを浮き彫りにするための強力なツールとして捉え,その背後に隠れたメッセージや社会問題に鋭い光を当てる.本書で取り上げられる映画は,戦争,貧困,労働,家族,権力といった社会的テーマを扱い,その中で無名の人々の生活や戦う姿勢を描くことに重点を置いている.映画の中で描かれる小さな出来事や人物の行動から,大きな社会的課題や歴史的な背景を引き出し,それを我々がどのように受け止めるべきかを問いかけている.山田洋次監督「母と暮せば」(2015)は,原爆で命を落とした息子が,死後も母親に再会し,戦争の悲劇を語りかける中で問いかけるのは,戦争を経験した世代が次の世代にその痛みをどのように伝えるべきか,また,戦争責任をどのように社会的に考えるべきかという課題である.
是枝裕和監督「万引き家族」(2018)について,そのテーマ性と映画が描く「家族」の崩壊に着目している.貧困と格差社会に生きる人々が,犯罪行為で生きる力を得ていく様子を描きながら,映画が示す社会の「見えざる障壁」に目を向ける.この映画は,家族という社会の最も基本的な単位が崩壊していく過程を描き,現代日本が抱える貧困問題や社会的排除の問題を鋭く反映している.この映画を通じて,社会の底辺で生きる人々の実態を浮き彫りにし,その背後にある社会的要因を深く掘り下げている.著者の映画批評は,映画の技術や物語に留まらず,その背景にある社会的構造や歴史的な文脈を解明していく.「ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015)というフランス映画について,労働問題を中心に,現代社会における「仕事」の意味と,労働者が直面する過酷な現実を描いている点に着目している.この映画の主人公は,失業を経て新たな職を得るが,その過程で自己を失い,家族との関係も悪化していく.
このような映画は現代の労働者の姿そのものであると評価し,現代社会における労働環境の厳しさと,それが個人の尊厳に与える影響を鋭く批評している.「64―ロクヨン」(2016)における警察内部での未解決事件を巡る捜査劇には,映画が描く警察という組織の問題に着目し,未解決事件を追う中で,警察内部の腐敗や権力闘争が描かれ,理不尽な圧力が人々を追い詰めていくかを掘り下げることで,その描写が現代の日本社会における「権力の不正」「正義の崩壊」を示していると指摘する.「パレードへようこそ」(2014)「リトル・ダンサー」(2000)に見られるような,社会的マイノリティが自己の権利を主張する姿に関しても,労働者や移民,性的少数者などが自らの立場を乗り越えて連帯し,社会と闘う姿を描いており,著者はこれを「社会運動の一端」と捉えている.映画は物語の枠を超え,現実社会での変革を促す強いメッセージを発信しうると理解するならば,メッセージ性をもつ作品は,観客に対して社会的な意識を呼び起こし,実際の運動に対する関心を喚起する力を持っているはずだ.
「明日へ」(2014)における韓国の非正規女性労働者を描いたストーリーにも触れ,映画がいかにして社会の隅々で苦しんでいる人々を描き出すかを解説している.この映画は,非正規労働者として生きる女性たちが直面する過酷な労働環境をリアルに描写しており,その背景にある社会的な不平等や,労働環境の厳しさを描写する.労働研究の碩学による洞察的な批評は,映画が持つ社会的・政治的なメッセージを解読し,観客にそのメッセージをどう受け取るべきかを考えさせる力を持っている.社会構造の矛盾や暴力にさらされる人々の苦悩を冷静に見据え,連帯のありかたを観察する意図が一貫している.映画が持つ力――それは娯楽の枠を超えて,社会を映し出し,問いかけ,時に変革を促すものである.本書は,映画を通じて現代社会の矛盾を浮き彫りにし,我々がどのように生き,社会に対してどう向き合うべきかを問う秀逸なガイドブックである.
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原題: スクリーンに息づく愛しき人びと―社会のみかたを映画に教えられて
著者: 熊沢誠
ISBN: 4863770715
© 2022 耕文社