▼『蒼ざめた馬』B・ロープシン

蒼ざめた馬 (岩波現代文庫 文芸 109)

 秋の夜が落ちて,星が光りはじめたら,わたしは最後の言葉を言おう‥‥20世紀黎明のロシアの漆黒の闇,爆弾を抱えて彷徨するテロリストたちの張り詰めた心情と愛と孤独.社会革命党(エスエル)戦闘団のテロ指揮者サヴィンコフがロープシンの筆名で発表した終末の叙情に富んだ詩的小説は,9.11以後の世界の黙示録である――.

 シア革命家ボリス・サヴィンコフ(Бори́с Ви́кторович Са́винков)――筆名"B・ロープシン"――は,20世紀初頭の混迷するロシア社会を背景に,暴力と革命,人間の内面的な葛藤を鋭く描き出した.実際の革命運動と暗殺事件を基にしたこの作品は,日記形式で綴られ,主人公ワーニャ(カリャーエフ)がセルゲイ大公(Сергей Александрович)暗殺という歴史的事件に至るまでの心理的葛藤を丹念に追っている.原題(КОНЬ БЛЕДНЫЙ:蒼ざめた馬)は,新約聖書ヨハネ黙示録」から引用され,死と黄泉を象徴する."蒼ざめた馬に乗る者"を死の化身として捉えた表現は,物語全体に暴力の宿命性と終末観をもたらし,サヴィンコフ自身の革命活動や人生哲学と深く結びついている.ワーニャの行動を通じて描かれるテロリズムの論理と,それに対する深い内省は,革命文学を超え,普遍的な倫理的テーマを提示している.

 サヴィンコフの人生そのものが物語を補完する存在となっている.貴族階級に生まれたサヴィンコフは,早くから社会革命党(エスエル)に加わり,戦闘団のリーダーとして暗殺計画を主導した.1904年のヴャチェスラフ・プレーヴェ内相(Вячесла́в Константи́нович фон Пле́ве)暗殺,1905年のセルゲイ大公暗殺といった事件は,ロシア政府を震撼させるものであったが,同時にサヴィンコフ自身に深い孤独と葛藤をもたらした.エヴノ・アゼフ(Е́вно Фи́шелевичА́зеф)の裏切り――秘密警察のスパイ活動――を知ったときの衝撃は特に大きく,革命運動そのものへの懐疑心を抱く契機となったとされる.サヴィンコフは自然をこよなく愛し,詩人としても活動していた.小説の中で繰り返される自然描写は主人公の心理状態を象徴的に表現し,「秋の夜が落ちて星が光り始める」といった場面は,孤独や死への予感を強調している.

 詩的な要素は作品全体に独特の美しさをもたらし,政治的プロパガンダではなく,文学としての価値を高めている.1906年に逮捕され死刑を宣告される直前には,同志たちの助けを得て劇的に脱走した.第一次世界大戦中,フランス軍に志願兵として参加し,祖国の政治から一時離れる生活を送った.しかし,1917年の二月革命後にはロシアに戻り,臨時政府の国防次官を務めた.十月革命によってボリシェヴィキ――ロシア社会民主労働党の多数派――が権力を掌握すると,サヴィンコフは反ソ活動に身を投じ,白衛軍を結成するなど抵抗を続けたが,最終的には1925年にソビエト当局に逮捕され,獄中で自殺したとされる.死の詳細については謎が多く,波乱に満ちた人生の終幕にふさわしい象徴的な謎として語り継がれている.本書は,発表当時から大きな論争を呼んだ.革命家たちからは「仲間の内部を暴露しすぎた」と批判される一方,文学界ではその革新性と深遠なテーマが高く評価された.

 革命家たちの空虚さを描いた点が新鮮であり,暴力を正当化するための倫理的命題と,その行為がもたらす深い孤独や虚無感を浮き彫りにする.後世の作家たちにも影響を与えた.アルベール・カミュAlbert Camus)は戯曲『正義の人々』でサヴィンコフのカリャーエフ像を再構築し,地上の愛のために行動する理想主義者として描いた.また,ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー(Hans Magnus Enzensberger)はエッセイ『政治と犯罪』でサヴィンコフを「絶対を夢見る人々」の象徴として位置づけた.こうした作品を通じて,サヴィンコフの思想は時代を超えて新たな解釈を受け続け,革命の時代を生きた作家の自己内省,人間の本質に迫る問いを融合させた不朽の文学精神として存在している.サヴィンコフの埋葬場所は不明である.2018年,ワルシャワの通りには,非共産化の一環としてサヴィンコフを称える名前が付けられた.

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Title: КОНЬ БЛЕДНЫЙ

Author: Бори́с Ви́кторович Са́винков

ISBN: 4006021097

© 2006 岩波書店