▼『ゴーレムの生命論』金森修

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

 かつてユダヤ教の世界で,魔術の修得の証とされた人造生命〈ゴーレム〉.その不遜で不敬な夢は,形を変えて現代科学のうちに継承され,現実のものとなりつつある.いま,命の在り方が根本から問い直される.二一世紀,倫理は新たな局面へ‥‥生命創造の「実現」によりもたらされる未来とは――.

 ーレムは,神話や伝説を超えて,人間の創造力,技術の限界,そして倫理の問題を映し出す象徴的な存在である.その起源はユダヤ教の秘教的伝承に遡り,土や泥を用いて生命を創り出す試みとして語られる.神の力を模倣し,人間が自己の限界を超えようとする創造行為の過程と結果は,過去から現代に至るまで,私たちの文化や思想に多大な影響を与えてきた.ゴーレムという言葉の起源はヘブライ語の「形なきもの」にあり,これは『セーフェル・イェツィーラー(創造の書)』で語られる土の存在に端を発する.伝承では,ゴーレムは神の創造行為に倣い,人間が言葉や呪文を駆使して生命を与えたものとして登場する.ただし,ゴーレムは人間のような知性や自由意志を持たず,その存在は創造者の技量を証明するための儀式的なものに留まる.

 ゴーレムの額に刻まれる"emeth(真理)"という文字は,その存在を支える要素となっていた.文字の一部"e"を削ることで"meth(死)"となり,ゴーレムは崩壊し土に戻る.この象徴的な表現は,中世ユダヤ教の神秘思想における言葉の力を反映しているだけでなく,生命と死がわずかな要素の違いによって分かたれるという現代技術にも通じるテーマを孕んでいる.ゴーレムの物語が最も有名になるのはプラハの伝説であった.ラビ・ロウ(Judah Loew ben Bezalel)が迫害に苦しむユダヤ人を守るためにゴーレムを創造し,防衛者としたという話だ.しかし,ゴーレムが制御不能となり,結果的に破壊されるという展開は,「創造が必ずしも創造者にとって有益ではない」という警告を内包している.このテーマは,人間が自らの知識や力を過信した結果,自らの手で危機を招くという普遍的な物語構造と一致する.

 同時に,ゴーレムの物語は時代や地域を超えて普遍的な要素を共有している.日本の陰陽師の式神や中国道教の泥人形などもまた,ゴーレムと同様に,人間が超自然的な力を用いて制御しようとする存在として描かれる.これらの物語は,文化的背景が異なりながらも,人間の創造力とその危険性への恐れという共通のテーマを反映している.19世紀から20世紀初頭にかけて,ゴーレムのテーマは文学作品を通じて再解釈されてきた.グスタフ・マイリンク(Gustav Meyrink)『ゴーレム』では,都市の無意識や抑圧された欲望の象徴として描かれ,物語の舞台となるプラハの神秘的な雰囲気がその象徴性をさらに高めている.一方,カレル・チャペック(Karel Čapek)『R.U.R.(ロッサムズ・ユニバーサル・ロボット)』では,「ロボット」という概念が登場し,ゴーレムは技術的・工学的な再解釈を受ける.

 制限された存在としての性質が,伝説や物語で繰り返し描かれるテーマとなり,創造物が創造者に反逆するというプロットを通じて,技術進歩に伴う倫理的責任や人間の支配欲への問いが投げかけられる.さらに,現代社会においてゴーレムの物語は新たな意義を持つ.人工知能や遺伝子編集といった技術の進化は,ゴーレムの概念を再び浮き彫りにしている側面がある.つまり,AIが自律的に判断を下すようになった場合,その責任や制御はどのように扱われるべきかという問題は,ゴーレムが古くから提起してきたテーマと重なる.また,科学技術が「途上的な生命」を生み出す中で,それが倫理的にどのように扱われるべきかという問いも再浮上させている.ゴーレムが「完全な生命ではないが,それでも命を持つ存在」として描かれることは,生命創造の倫理に対する解釈の有用なフレームワークと見なすべきものであろう.

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原題: ゴーレムの生命論

著者: 金森修

ISBN: 4582855482

© 2010 平凡社