ロシア革命がはらむ西欧中心主義の限界をいち早く見抜いていたタタール人革命家スルタンガリエフ(一八九二‐一九四〇).彼は旧ロシア帝国のムスリム地域の脱植民地化を図ったが非業の死に斃れた.本書はイスラム世界の風土と歴史を背景にその「ムスリム民族共産主義」を詳説し,激動の現代中央アジアを理解するための礎石を提示する――. |
中央アジアやイスラーム世界の民族運動とその思想史を通じ,ミールサイト・スルタンガリエフ(Мирсәет Хәйдәргали улы Солтангалиев)の生涯を軸に,ロシア革命が持つ「西欧中心主義」「植民地主義」の交錯する激動の時代を浮かび上がらせている.スルタンガリエフは,帝政ロシアからソビエト体制へと移行する中で,民族的アイデンティティと階級闘争を同時に追求した「ムスリム民族共産主義」提唱者である.その思想は,西欧中心のマルクス主義とは異なる「植民地の革命論」を含んでいた.スルタンガリエフは,中央アジアのムスリム諸国を独立した連邦国家として構想し,ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)の一部ではなく独自の道を歩むべきと考えていた.
「イスラーム・ソビエト連邦構想」は,当時としては極めて斬新でありながらも,スターリン政権にとっては危険視される理由となった.スルタンガリエフの思想の特異性を象徴する一例として,イスラームの教えを社会主義に統合しようと試みたことが挙げられる.イスラームの中にある「ザカート(貧者への施し)」の教義や,平等を重んじる価値観が社会主義的思想と一致すると考えた.そのため,ムスリム地域における社会主義運動を輸入されたイデオロギーとしてではなく,地域文化と調和させる形で展開しようと努めたのである.タタール語で発行したプロパガンダ冊子には,クルアーンの一節を引用しながら階級闘争を訴える文言が散りばめられている.これは当時の他のボリシェヴィキ革命家には見られない独自のアプローチであった.
スルタンガリエフとヨシフ・スターリン(Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин)の関係は,初期ボリシェヴィキ運動の中では比較的友好的であったとされる.しかし,1922年にスターリンが民族政策を具体化する過程で,「民族独立」というスルタンガリエフの主張がボリシェヴィキの中央集権的政策と衝突した.スルタンガリエフは,スターリンに覚書を直接送った.この覚書では「ロシア人による民族支配は,新しい形式の植民地主義である」と批判し,イスラーム圏の自治を強く求めた.これがスターリンを激怒させたことが,粛清への道を決定づけたといわれる.スルタンガリエフは,革命家であると同時に詩人でもあった.編集に携わった新聞や雑誌には,タタールや中央アジアの民族的伝統を称える詩が頻繁に掲載されていた.
逮捕される前に書き残した詩の一部は,後にタタールスタンで民族主義運動のシンボルとして引用されるようになる.その中には「自由は奪われるものではない,それは内なる力である」という一節があり,これは現代のタタール人や中央アジア諸民族の独立運動にも共鳴する.ソビエト連邦崩壊後,スルタンガリエフの思想は新たな評価を受けるようになった.カザフスタンやウズベキスタンでは,植民地解放の理念が独立後の国民的アイデンティティ形成に寄与したとされる.タタールスタンではスルタンガリエフの名を冠した記念碑や研究センターが設立され,先駆的な思想が再注目されている.こうした再評価は,本書で描かれる時代を超えた普遍性を示すものといえるだろう.スルタンガリエフという人物の思想と行動は,革命の画期性と地域性の間に横たわる緊張を見事に浮かび上がらせている.
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原題: スルタンガリエフの夢―イスラム世界とロシア革命
著者: 山内昌之
ISBN: 4006002017
© 2009 岩波書店