| イランの子どもたちはいつもたくさんの宿題に追われていると感じたキアロスタミは,自らインタヴュアーとなり,小学校の生徒たちや先生たちへ,「宿題」をめぐって次々に質問をする.「なぜ宿題をしてこなかったの?」「誰が宿題を見てくれるの?」その答えから見えてくるのは,それぞれの複雑な家庭事情.家の手伝いに追われて宿題ができない子.宿題を見てあげようにも読み書きのできない親.そうして徐々にイランの教育制度の持つ問題点が浮き彫りになる…. |
宿題という日常的なテーマを通じて,イラン社会の教育と家庭環境を浮き彫りにするアッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)の試みである.本作が製作された1980年代後半,イランは革命後の新体制の中で急速な社会変化を経験していた.キアロスタミ自身は映画監督であると同時に,教育や家庭のあり方に関心を寄せる一人の親でもあった.本作の着想を得たきっかけは,息子が学校の宿題を通じて感じていたプレッシャーや家庭内で生じる摩擦を観察したことにある.宿題というテーマを選んだのは,教育と家庭の境界線を浮き彫りにするためであり,それを通じて社会全体の矛盾を描こうとする意図があった.キアロスタミは撮影中,意図的に台本を用意せず,子供たちに即興で質問を投げかけた.これにより,子供たちの純粋な反応や本音を引き出し,ドキュメンタリーのリアリティを高めようとしたのである.
この手法は,子供たちの声を真摯に捉えるためのものであり,同時に教育の現場が持つ生々しい矛盾を暴露するものでもあった.イラン革命後の教育制度は,宗教的価値観と国家主義的イデオロギーに基づいて再編成された.学校教育ではイスラム教の教義や殉教の精神が強調され,子供たちは国家の忠実な市民として育成されることを期待された.映画の中で,子供たちが「フセインを倒せ」と唱える場面は,伝統的なトゥダ教育の一環である.学生が先生の指示を受けながら一緒に歌ったり,詩を朗読したりする活動であり,イデオロギー教育がいかに常態化していたかを物語る.これらの教育は,純粋な愛国心や忠誠心の育成を目的としていたが,結果的には自由な思考を制限し,創造性を抑圧する要因ともなっていた.当時の学校では,戦死した兵士たちを称える「殉教者の週間」という行事が行われており,子供たちはその一環として詩を朗読し,兵士の家族に手紙を書く活動に参加させられた.
教育活動は子供たちに国家への忠誠心を植え付けることを意図していたが,多くの子供たちに心理的な重圧を与えていたことも事実である.家庭環境の多様性もこの作品の重要なテーマである.登場する子供たちの中には,宿題を終わらせるために親の助けを得られない者もいる.イランでは,1970年代まで農村部を中心に識字率が低く,特に女性の文盲率が高かった.この背景が,子供たちの教育格差を生み出す大きな要因となっていた.また,宿題自体が暗記中心の内容で,学習の質を高めるものではなく,子供たちにとって負担でしかなかった場合も多い.それでも,親の中には宿題の内容や教育制度そのものに疑問を持ち,子供に批判的思考や創造性を育むよう促す者もいた.ある親は,学校の宿題が無意味だと考え,自宅では子供に詩を書かせたり,物語を作らせたりしていた.このような家庭の取り組みは少数派ではあったが,教育の可能性を考える重要な視点を提起している.
体罰の問題も本作で取り上げられているテーマの一つである.多くの子供たちは,家庭や学校で体罰を受けた経験があると語り,ある子供は「将来自分が親になったら同じ方法で罰する」と平然と答えている.この発言は,体罰が社会的に容認されている現実を如実に示している.イスラム教の教義や伝統的価値観が,体罰を教育の一環として正当化する背景にあるとされるが,個人の尊厳や自由な思考を犠牲にするものであり,現代的な教育観から見ると前近代的というほかはない.キアロスタミは,撮影現場で子供たちに自由に話す機会を与える一方で,インタビューそのものが子供たちにプレッシャーを与える可能性についても自覚していた.怯える少年に執拗に質問を続ける場面は議論を呼び,監督としての客観性と人間としての感情の間で葛藤したと語られている.
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原題: MASHGH-E SHAB
監督: アッバス・キアロスタミ
77分/イラン/1989年
© 1989 KANOON
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