▼『民衆暴力』藤野裕子

民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書 2605)

 現代の日本で,暴動を目撃する機会はまずないだろう.では,かつてはどうだったのか.本書は,新政反対一揆,秩父事件,日比谷焼き打ち事件,関東大震災時の朝鮮人虐殺という四つの出来事を軸として,日本近代の一面を描く.権力の横暴に対する必死の抵抗か,それとも鬱屈を他者へぶつけた暴挙なのか.単純には捉えられない民衆暴力を通し,近代化以降の日本の軌跡とともに国家の権力や統治のあり方を照らし出す――.

 代日本における民衆暴力は,社会的混乱や庶民の不満の表出にとどまらず,国家と民衆の関係を映し出す鏡である.本書は,新政府反対一揆,秩父事件,日比谷焼き打ち事件,そして関東大震災時の朝鮮人虐殺といった具体的な事件を通じ,民衆暴力がいかに社会構造や国家権力の変容と絡み合いながら発生したかを検討する意欲作.明治維新後の改革――廃藩置県,地租改正,徴兵令――は,日本の近代化を推進する上で不可欠であったが,同時に民衆に多大な負担を強いるものでもあった.地租改正における3%の税率は,現代的には低いように思えるが,当時の農民にとっては生計を圧迫する大きな負担となったため,一揆の頻発を招いた.3%という数値は,当時の欧州諸国の税率と比較しても決して低くはなく,日本政府が近代国家として国際的な競争力を維持するために,財政基盤を確立することを優先していた.

 身分制の廃止は社会的不安を助長し,美作地方では被差別部落に対する暴動が発生した.これらの改革は理念的には進歩的であったが,社会の深層では新旧の秩序が衝突し,矛盾や排除を生む結果を招いたのである.秩父事件は,経済的困窮だけでなく,農民が新たな社会秩序を模索した点で注目される.参加者の一部が「困民党」を名乗り自由平等を掲げたが,その思想には"天誅"といった伝統的な価値観が色濃く残されていた.鉄道という近代的インフラを標的にしたことは興味深い.鉄道が暴動の対象となったのは日本で初であり,農民たちは近代化の象徴を攻撃することで,自らの苦境や不満を訴えようとした.この行動は,暴動が感情の発露ではなく,政治的メッセージを伴うことを示している.

 日比谷焼き打ち事件は,ポーツマス条約への反発を契機に起こった暴動である.一見するとナショナリズムに基づく運動に見えたが,その実態は,戦時中の好況が終わり,経済的苦境に陥った都市部労働者の不満が根底にあった.この事件を契機に,国家は青年団や在郷軍人会などの地域密着型組織を整備し,秩序維持を図ったものの,労働運動を抑圧する道具ともなった.参加者が当初計画していた政府へのデモが,最終的に商店や警察署への攻撃に変化した点は重要である.ここには,暴動が社会の制度的矛盾を可視化する役割を果たした側面がうかがえる.関東大震災時の朝鮮人虐殺は,本書で取り上げられる中で最も苛烈で深刻な事例である.官民問わず「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」というデマを広め,自警団を煽動する役割を果たした.暴力が民衆の暴走ではなく,国家操作による側面があることに疑う余地はない.

 さらに,女性の服装や髪型,言語といった曖昧な基準で「朝鮮人らしさ」を判別し,無差別的な暴力を拡大させた.朝鮮人だけでなく,異なる方言や風貌を持つ日本人も標的とされた事実は,群集心理と偏見がいかに結びつくかを示す重要な教訓といえるだろう.暴力が常に不正義や不合理の象徴であるとは限らない.むしろ,それは社会の深層に潜む矛盾を映し出し、時には改革の原動力ともなりうる.本書は,これらの事件を過去の教訓として分析し,現代社会への警鐘として位置づけている.現代のヘイトスピーチやオンラインの誹謗中傷の問題は,暴力が物理的行為に限らず,言葉や態度にも内包されることを明確に示している.本書は,歴史研究の枠を超え,未来の社会を形作る指針を得るために,現代の暴力をどう捉えるべきかという問いを投げかけている.

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原題: 民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代

著者: 藤野裕子

ISBN: 4121026055

© 2020 中央公論新社