▼『悪党たちの大英帝国』君塚直隆

悪党たちの大英帝国 (新潮選書)

 歴史を動かした「悪いやつら」! 辺境の島国イギリスを,世界帝国へと押し上げたのは,七人の「悪党」たちだった.六人の妻を娶り,うち二人を処刑したヘンリ八世.王殺しの独裁者クロムウェル.砲艦外交のパーマストン.愛人・金銭スキャンダルにまみれたロイド=ジョージ.そして,最後の帝国主義者チャーチル‥‥彼らの恐るべき手練手管を鮮やかに描く――.

 英帝国の500年に及ぶ歴史を,7人の「悪党たち」を通じて描き出す挑発的な考察である.権力者が野心と欲望をもっていかにして歴史の流れを変え,国家の基盤を築き上げたのかを鮮やかに浮き彫りにする表現の意図は明確である.権力の手法は時に非倫理的でありながら,歴史の転換点では一国を救い,世界の秩序を再構築する原動力となった.本書により,大英帝国という巨大な政治体の形成,発展,変容の一端を考察することができる.ヘンリー8世(Henry VIII)は,宗教改革を通じてイングランド国教会を設立し,カトリック教会からの独立を果たした.離婚問題や後継者問題という個人的な動機に発しているが,その結果として主権国家の枠組みを整備した点は見逃せない.宗教的独立は,後の国際政治においてイギリスの独自性を強化した.

 スペインのアルマダ海戦では,宗教的断絶がイギリスの戦意を鼓舞し,勝利を導いた.この戦争は軍事的成功にとどまらず,イギリスの国民意識を醸成する重要な契機ともなった.オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell)は,ピューリタン革命を主導し,国王チャールズ1世(Charles I)を処刑するという前代未聞の反逆を遂行した.その専制的手法から"王殺し"の悪名をとったが,護国卿政権はイギリスの近代化に寄与した.クロムウェルが推進したスコットランドやアイルランドとの強制的な合邦は,後の大英帝国における地域的統合の先駆けとなり,また宗教的寛容政策の一環としてユダヤ人の再移住を許可したことは,統治が独裁にとどまらない複雑な性格を持つことを示している.ウィリアム3世(William III)は,名誉革命を経てイギリスの立憲君主制を確立した.オランダから導入した金融システムは,イギリスの経済基盤を強化し,産業革命を支える土台となった.

 金融革命は,財政=軍事国家の原型を形成し,18世紀のヨーロッパにおける勢力均衡政策の中核を担うことを可能にした.ウィリアム3世は不人気な「外国人王」として国内では軽視されながらも,イギリスをヨーロッパ大陸における決定的な調整役へと押し上げている.パーマストン子爵(Viscount Palmerston)は「砲艦外交」による強硬な対外政策を展開し,中国や日本への影響力拡大を主導した.一方で,奴隷貿易廃止の道筋をつけるという矛盾した行動も取った.その政策は帝国主義の端緒を切り開き,国際世論を意識した外交戦略の模範ともなった.有名な「ローマ市民演説」は,外交における国民感情の重要性を示し,近代外交の手法に大きな影響を与えた.ウィンストン・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill)は,第二次世界大戦におけるリーダーシップで知られるが,戦前は孤立し批判にさらされる存在だった.

 チャーチルの提唱した「サミット」概念は,国際政治における対話の新たな枠組みを示すものであり,歴史的視野の広さを物語っている.また,戦後の平和構築に向けて提唱した全人類的な平和の構築理念は,冷戦時代の国際秩序の基盤にも影響を与えている.これらの人物たちを通じて描かれる大英帝国の歴史は,倫理的な矛盾と国家的利益が複雑に絡み合う過程で形成された.「悪党」としての行動は,短期的に非難を浴びたとしても,長期的には国家的利益と一致し,イギリスを世界帝国へと押し上げる原動力となった.このような歴史的洞察は,現代におけるリーダーシップの在り方や,国家と個人の倫理の交錯を考える上で極めて示唆的である.歴史を動かした「悪党たち」の姿が,道徳的評価を超えて,時代を生き抜く知恵と胆力の象徴として浮かび上がる.

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原題: 悪党たちの大英帝国

著者: 君塚直隆

ISBN: 4106038587

© 2020 新潮社