| 江戸深川の棟割長屋.浪人海野又十郎は今日も頼みの毛利三左衛門に仕官の途を求めるが,いい返事をもらえない.一方,壁隣に住む髪結新三は商売道具を質に入れようと白子屋を訪れるが,こけにされたことから,白子屋の娘お駒を誘拐してしまう…. |
夭折した天才監督山中貞雄の最後の作品である.死に始まり死に終わる物語でありながら,登場人物たちは世間話や馬鹿話に興じ,話すことをやめれば死んでしまうかのような饒舌さを持つ.泥沼の戦争へと進む昭和初期の閉塞感を製作背景に,底辺に生きる江戸の人々の逞しい生活力を描き,驚くほど近代的な人情劇である.原作は河竹黙阿弥作の歌舞伎「梅雨小袖昔八丈」である.山中の盟友である三村伸太郎がシナリオを執筆し,山中が独自の視点で映像化した.江戸時代の貧しい長屋を舞台に,浪人や職人たちの日常を描きながらも,人間の希望と絶望を映し出す.貧乏長屋に暮らす浪人海野又十郎は仕官を求めるも叶わず,妻と共に悲劇的な運命を迎える.一方,長屋の髪結新三は質屋の娘を誘拐するが,その行動は自身の誇りと意地を示すものであった.
印象的なラストシーンは,フランス映画「ミモザ館」(1935)の影響が見られ,山中自身がそれを下敷きにしていたという証言もある.紙風船は日本的な美意識である無常観を象徴する存在でもあり,観客に深い感慨を与える.映画の封切り当日,山中は召集令状を受け取った.戦地に赴く前,「『人情紙風船』が最後の作品になるのは嫌やなあ」と語ったという.翌年,山中は病気により中国で29歳の若さで世を去った.山中が所属した監督・脚本家集団「鳴滝組」が目指した髷をつけた現代劇ジャンルの中で,本作は最高傑作と評される.山中は撮影現場で非常に几帳面な演出家であった.カメラのアングルや演技に細かく指示を出し,映画の中のすべての要素が完璧に調和することを追求した.製作姿勢は,後年フランソワ・トリュフォー(François Roland Truffaut)をはじめとする世界の映画監督たちに感銘を与えた.
トリュフォーは「カメラと演出が緊密に絡み合い,一分の隙もない完璧な画作り」と称賛している.さらに,この映画には,当時の日本社会の状況が色濃く反映されている.昭和初期の不況や戦争の影響を受け,社会の底辺で生きる人々の生活は厳しいものだった.しかし,彼らは逆境に抗い,ユーモアを交えながら生き抜こうとする.その姿は,時代を超えて共感を呼び起こすだろう.山中は,監督デビューしてわずか5年で映画を9本撮り上げた.本作は,山中作品の集大成であり,脚本の段階から緻密に計算されていた.長屋のセットは当時の美術スタッフが徹底したリサーチを行い,リアリティを追求した結果生まれた.観客はまるで江戸時代に迷い込んだかのような臨場感を味わうことができる.
映画の独自性はカメラワークにも表れている.冒頭の長屋の俯瞰ショットから始まり,狭い路地や部屋の中を縦横に動き回るカメラは,観客を物語の中に引き込む装置として機能している.これらの技法は,当時の日本映画では非常に斬新であり,後の映画監督たちに多大な影響を与えた.最後に,この映画が持つ国際的な影響についても触れておこう.本作は,北米やヨーロッパでも評価され,その人間描写の普遍性が注目された.戦後,日本映画が世界的に認知される契機の一つとなったのも,本作のような傑作の存在によるものである.国際映画祭での再上映や,フィルム修復プロジェクトを通じて本作が再評価され続けていることは,山中の才能が時代を超えて生きている証である.劇中で描かれる人間の悲喜,儚さ,そして逞しさは,山中貞雄の優れた観察眼の賜物である.
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原題: 人情紙風船
監督: 山中貞雄
86分/日本/1937年
© 1937 東宝
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