| 昭和20年9月17日.敗戦直後に日本を襲った枕崎台風は,死者不明者3000人超の被害をもたらしたが,そのうち2000人強は広島県だった‥‥なぜ,広島で被害が膨らんだのか.原爆によって通信も組織も壊滅した状況下,自らも放射線障害に苦しみながら,観測と調査を続けた広島気象台台員たちの闘いを描いた傑作ノンフィクション――. |
戦後の広島における枕崎台風の壮絶な防災記録を描き出したノンフィクションの金字塔である.1945年8月6日,原爆によって壊滅的な被害を受けた直後に降った放射性物質を含む黒い雨,わずか1か月後に襲った枕崎台風は,都市機能が崩壊した広島をさらに追い詰めた.複合的災害の中で,広島地方気象台の職員たちは命を賭して観測と調査を続けた.本書はその姿を丹念に掘り起こし,原爆と台風という二重災厄の全貌を検証している.著者の出発点は,NHK記者として広島で勤務していた1960年代であった.当時の原爆後障害の取材は主に医療的な側面に焦点を当てており,枕崎台風については注目されていなかった.著者は東京へ異動後,災害を専門とする中で気象研究者根本順吉から提供された資料に触れ,気象台員たちの詳細な調査報告書に感銘を受けた.
記録には,被災地を歩き,住民の証言を聞き取るという現場主義に基づく調査の精神が息づいていた.広島気象台員たちは被爆の影響で命を脅かされながらも,現場を踏み,生々しい証言を記録していた.観測精神は,現代の効率化が進む社会において失われつつあり,本書が警鐘を鳴らすのは,現場主義の精神が見過ごされる危惧である.広島型原爆は爆発規模で比較すると,現代の核兵器の威力に比べて小規模であった.それでも広島が被った惨禍は計り知れない.加えて,当時は放射線の影響に関する知識が乏しく,黒い雨が引き起こす長期的な健康被害についても未知の領域だった.被害は物理的破壊,心身の後遺症や社会的孤立を含む複合的な問題となった.
本書で描かれる広島地方気象台の観測記録は,災害記録に留まらず,情報共有や防災計画の基盤として後世に引継がれることとなった.限られた技術と情報の中で成し遂げられたその業績は驚嘆に値する.広島地方気象台員たちが観測記録を残すために示した倫理観と献身の精神により,災害の中で情報を正確に記録し,それを未来に活かすという行為は,職務を超えた使命感に裏打ちされていた.気象台員の取り組みは,現在の災害対応における倫理的基盤を形成するものといえるだろうか.1945年の広島が直面した二重災害は,複合災害の恐怖を教える.また,複合災害の脅威は自然災害と人為災害が絡み合うことで一層深刻化する.広島特有の地域問題に留まらず,東日本大震災後の福島原発事故のように,災害が社会や政治とどのように交錯し,影響を与えるかを学ぶことができる.
災厄は繰り返されるが,全く同じ形ではない.時代背景や原因は複雑化し,新たな形で私たちに問いかけてくる.だからこそ過去をただ振り返るのではなく,分析し,教訓を未来に活かす必要がある――ロシアによるウクライナ侵攻や原発攻撃の事実が示す通り,戦争と災害が複合的に絡み合う現代の状況は,もはや人間の制御を超えている.地震に伴う津波や原発事故,気候変動が引き起こす極端な気象現象,すべて社会的・経済的影響をもたらし,これらの災害に備えるための包括的なアプローチが求められる.本書の歴史的事例を分析することで,未来を見据え、同じ過ちを繰り返さないための複合災害の対応策を再検討する手がかりが得られるだろう.
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原題: 空白の天気図
著者: 柳田邦男
ISBN: 4167240203
© 2011 文藝春秋
