| 最初期の国家で非エリート層にのしかかった負担とは?国家形成における穀物の役割とは?農業国家による強制の手法と,その脆弱さとは?考古学,人類学などの最新成果をもとに,壮大な仮説を提示する――. |
なぜ人類は狩猟採集を放棄し,家畜や穀物に依存する定住社会へ移行したのだろうか.この問いに対し,多くの人々は,動植物の家畜化が人類に定住と農業を可能にし,村や都市,国家の形成を促進したという通説を信じている.文明,法,公的秩序,安全な生活といったものが,この転換の恩恵として語られてきたのである.本書は,通説的な文明論を根本から覆す視点を提示し,最初の農耕国家は人々の自由意志による選択ではなく,むしろ強制の産物であったと主張する.初期の農耕国家は階層的で,栄養失調や病気に悩まされ,しばしば奴隷労働に依存していた.農業と国家の誕生は,安定と繁栄をもたらすどころか,圧政と過酷な生活条件を生み出した.この見解は,定住生活が人類にとって自然で望ましい進化だったという従来の考えに挑戦し,人類史上最大の問いの一つを再検討するものである.著者によれば,定住と農耕の導入は,動植物だけでなく人間そのものの飼い馴らしを含む,一連の制御の結果であったという.
飼い馴らしは,火の利用や湿地の利用といった環境改変から始まり,穀物や家畜の栽培,さらには国家の臣民としての人間の支配に至るまでの長いプロセスを伴った.これにより,人類は過密な環境に閉じ込められ,病気の流行や労働の強制に直面することになった.ティグリス・ユーフラテス川流域では,国家の誕生までに4000年もの年月がかかっている.ここでの湿地帯は初期の定住に適していたものの,国家の形成にはさらなる条件が必要だった.著者は,火の使用が湿地を改造し,作物栽培の基盤を作り出したと指摘する.火の制御は,草原を森に変えたり,土壌を肥沃にしたりすることで,初期の農業を支える重要な技術であった.さらに穀物の役割が重要である.本書は,穀物が国家形成の基盤となった理由として,貯蔵と課税の容易さを挙げる.計測可能な穀物こそ,徴税や食糧配給といった国家の基本的な機能を支える物質的基盤を提供した.このようにして国家は穀物中心の農業経済を強制し,農民をその支配構造に組み込んだのである.
興味深いことに,穀物中心の農業を避けた社会も存在した.東南アジアの山岳地帯では,稲作よりも移動型農業が好まれた.これは,国家の介入を防ぐための戦略とも解釈される.動物と人間の関係も変化した.家畜化された動物が初めて疫病の媒介者となったことは注目に値する.ブタやウシといった家畜は,人類史上初期の動物原性感染症の原因となり,これが後にパンデミックを引き起こす基盤となった.こうした感染症は,過密な定住社会において深刻であった.ペストのような病気が中世ヨーロッパを襲った際には,その背景に農業社会の過密性や家畜との近接がある.国家の支配を免れていた「野蛮人」についても詳細に論じている.彼らは移動性を保ち,国家の束縛から自由であることの利点を享受していた.これにより,国家と非国家的な周辺部との間には常に緊張関係が存在していた.モンゴルの遊牧民は長期間にわたり国家権力を拒絶し,独自の経済と文化を維持してきた.著者はこれを「黄金時代」と呼び,定住農業国家の物語の裏側に隠された歴史として浮かび上がらせる.
歴史的には文字の発明が国家の形成に重要な役割を果たしたことも見逃せない.文字は記録を残し,徴税や法律の執行を可能にする一方で,国家がその支配を拡大し,維持する手段ともなった.しかし,文字を用いた記録が消失すると,しばしば国家そのものも崩壊してしまう.過度な定住や農業活動は環境破壊を招き,結果として国家の崩壊を引き起こすことがあった.これを著者は「崩壊万歳」と表現し,崩壊そのものが新たな秩序の創出や社会の再編につながる可能性を示唆する.この点については,ローマ帝国の崩壊後に地方分権的な封建制度が台頭した歴史を引き合いに出すことができる.狩猟採集社会では多様な生態系を活用していたが,農耕社会では特定の穀物に依存するモノカルチャーが一般化した.この劇的変化により,土地の劣化や生物多様性の損失が加速し,人類の存続を危うくする新たな課題が生じたというのである.本書は,人類史における国家と文明の形成に関する通説を問い直し,国家権力と個人の自由の緊張関係を浮き彫りにする.その示唆は,現代の都市化や環境問題,グローバルな権力構造を再考する上でも参考になる.
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Title: AGAINST THE GRAIN - A DEEP HISTORY OF THE EARLIEST STATES
Author: James C. Scott
ISBN: 9784622088653
© 2019 みすず書房
