▼『コルトレーン』藤岡靖洋

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

 ジョン・コルトレーン(1926-67).そのサックスから迸る音は,ジャズという音楽を根本から変えた.本書は,世界的に知られる研究家が著す,決定版評伝である.発掘資料,貴重写真,関係者へのインタビュー記録などを駆使し,ジャズの可能性を極限まで追求しつづけ,ついにはジャズに殉じて逝った男の全人生を描く――.

 ダンジャズの巨匠ジョン・コルトレーン(John William Coltrane)の辿り着いた至上の愛という境地.在野のコルトレーン研究家は,私淑するコルトレーンの音楽の背景にある哲学や思想を汲み取ろうとする.コルトレーンは,1926年にノースカロライナ州ハイポイントで生まれた.幼少期に父を失い,母と祖父母の元で育てられる中で,教会のゴスペル音楽に親しみ,音楽的基盤を築いた.1940年代末にプロのキャリアをスタートさせたコルトレーンは,ビバップを中心とした音楽スタイルに影響を受けながら,徐々にその才能を開花させた.1950年代半ば以降,マイルス・デイヴィス(Miles Davis)やセロニアス・モンク(Thelonious Monk)との共演を経て,《ジャイアント・ステップス》《マイ・フェイヴァリット・シングス》の斬新なコード進行は,ジャズ界に大きな衝撃を与えた.

 著者は,コルトレーンの音楽的進化が精神的探求とも密接に結びついていることを強調する.代表作《至上の愛》は,インド哲学やユダヤ教神秘主義の影響を受け,自己の内面と宇宙的な存在とを結びつけようとする試みであったという.このアルバムが持つ精神性は,コルトレーンの音楽を娯楽の域を超えた崇高な表現としている.しかしながら,本書にはいくつかの不備が見られる.コルトレーンの黒人アイデンティティが,音楽表現において抑圧されていたという主張には,より具体的な裏付けが求められるはずだ.アルバム《Africa/Brass》に収録予定だった楽曲が政治的理由で除外されたというエピソードを公民権運動と結びつける部分では,論理的な飛躍が感じられる.

 世界中の研究者の情報を基に執筆したとする記述は,著者の主観的解釈を補強するための論拠としては薄弱であり,さらなる疑問を抱かせる可能性がある.一方で,コルトレーンの人間味を浮き彫りにする記述は興味深い.デイヴィスとのエピソードにおいて,どうやってソロを終わらせればよいのかと悩むコルトレーンに対して,デイヴィスが「サックスを口から離すんだよ」と答えたやり取りは,コルトレーンが音楽に対していかに真摯であったかを語ると同時に,その音楽がしばしば現実の制約と衝突していたことをも示すものだ.義姉がモータウンの作詞家であり,ダイアナ・ロス(Diana Ross)《ラブ・ハングオーバー》を手がけたというエピソード,妻がアルバム《インフィニティ》にストリングスを加えたアレンジは,コルトレーン一家の音楽的交流を感じさせる.

 コルトレーンの音楽的進化は,家族や周囲の環境とも密接に結びついていた.《至上の愛》が公演でほとんど演奏されなかった理由は,演奏時間が長すぎてクラブの収益に悪影響を与えるという実務的な問題もあった.このような現実的制約は,コルトレーンの音楽が精神的探求で終わらず,社会状況の中でどのように受容されたかを探るうえで避けられない要素である.前衛ジャズの独創的な道を開いたコルトレーンは,死の1年前の1966年7月に来日公演を行った.記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し,「私は聖者になりたい」と答えた.

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原題: コルトレーン―ジャズの殉教者

著者: 藤岡靖洋

ISBN: 4004313031

© 2011 岩波書店