▼『女神記』桐野夏生

女神記 (角川文庫 き 34-1)

 遙か南の島,巫女の家に生まれた姉妹.六歳の誕生日,姉は家族から引き離された.大巫女となり,跡継ぎの娘を産むのだ.やがて姉のもとに食事を届けることが妹の役目に.「ひもじくても,けして食べてはならない」だが島の男と恋に落ちた妹は,禁忌を破り,聖域に足を踏み入れてしまう.激しい求愛の果て,地下に堕ちた妹が出逢ったのは,愛の怨みに囚われた女神イザナミだった.性と死の神話を,現代に編み直す――.

 界各国の作家が神話を現代的視点で語り直すプロジェクト「新・世界の神話シリーズ(THE MYTHS)」の一環として執筆された.『古事記』の黄泉国神話を下敷きにしつつ,巫女ナミマの視点から生と死,女の怒りをテーマに描いた物語である.ナミマは,ヤマトの南方にある海蛇の島に生まれ,死者を祭る陰の巫女としての宿命を背負う.しかし,掟を破り青年マヒトと結ばれたことで島を追われ,やがて彼の手にかかり命を落とした.黄泉の国に導かれたナミマは,女神イザナミに仕え,死者の世界の秩序を学ぶ中で,マヒトの裏切りと自身の運命を見つめ直す.

 物語の舞台は,琉球の巫女信仰を思わせる要素を持ち,姉が陽の巫女,妹が陰の巫女として対を成す構造は,死と生のバランスを象徴し,ナミマの反抗がこの均衡を崩す契機となる.本作の最大の特徴は,『古事記』におけるイザナミの描かれ方を逆転させた点にある.原典では,イザナミは死後に穢れた存在として忌避され,イザナキとの決別が語られる.しかし,本作では「怒れる女神」として強調され,男性中心の神話体系に対する異議申し立ての象徴として描かれる.

 ナミマは死後,蜂の姿で現世に戻り,自身の過去を振り返る.そこで明らかになるのは,マヒトの裏切りだけではなく,女の生と死が社会の構造によって規定されている人の世の理であった.女の怒りと悲しみは,イザナミの怨念と響き合いながら,物語の終末へと向かう.特筆すべきは,イザナミが怨念の象徴としてではなく,世界の再生をも司る存在として描かれている点である.

 物語の終盤,イザナキが転生し新たな妻を迎えるが,イザナミはその生命を奪う.これは男性による新たな歴史の書き換えに対する拒絶の表明である.黄泉の国という異界を通じて,女性の怒りと生死の不可分性を問い直すナミマの語りは,死者の視点から世界を再解釈することで,伝統的な神話が持つ価値観に挑戦する.出産と死,愛と憎しみ,生と穢れの相克を通じて,女性が背負わされてきた宿命の意味を鋭く浮かび上がらせ,ナミマの声は「女神を称えよ」と響く.それは,長らく歴史の影に追いやられてきた存在への賛歌であり,神話の再話的意義を読者に問いかけるのである.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 女神記

著者: 桐野夏生

ISBN: 4041000203

© 2011 角川書店