▼『燃えよ剣』司馬遼太郎

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

 幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男,土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く.武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は,生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって,浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を,当時最強の人間集団へと作りあげ,己れも思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく.「竜馬がゆく」と並び,“幕末もの”の頂点をなす長編――.

 の一生というものは,美しさを作るためのものだ――そう信じた土方歳三は,五稜郭の地で最期を迎える.新選組が活躍した期間はわずか6年(1863-1869)にすぎないが,その影響は計り知れない.愛刀和泉守兼定と堀川国広は,土方の人生とともにあった.刀は人を斬るために作られた凶器であり,土方の人生観もまた刀と同じく,目的に忠実で単純だった.司馬遼太郎作品の中でも特に支持率の高い作品であり,土方の一切ぶれない生き様に共感する読者は多い.司馬は執筆動機を「男の典型を描きたい」と語っており,その目的は十二分に果たされたといえるはずだ.司馬は『竜馬がゆく』と本書を並行して執筆していた.明治維新を推進した坂本竜馬と,それを阻止しようとした新選組副局長土方歳三――両者を同時に描いた司馬は,新選組には当初抵抗感があったが,執筆を進めるうちにそれは消えたという.

 最終的には土方も近藤も,自分の知人の誰よりも親しいような感情を持っている,と語るまでになった.あとがきで,土方は新選組という異様な団体をつくり,活躍させ,いや活躍させすぎ,ただそれだけのために生命を使いきったと述べている.土方自身,ただ精神を昂揚させ,夢中で生きた.その刹那的な生き方こそ,宿命であっただろう.幕府の衰退とともに近藤勇は動揺するが,土方は沖田総司に「幕軍がすべて敗れ,降伏し,最後の一人になろうとも,やるぜ」と語り,その言葉通りに戦い続けた.イデオロギーと呼べるものはなく,ただ戦いの中に生きがいを見出し,百姓上がりの剣術家から,西洋式軍隊の指揮官へと変貌を遂げた.ダンディに洋装を着こなし,髪をオールバックにし,榎本武揚の五稜郭政府の幹部として唯一,戦死した土方の肖像写真は現存するが,公式な写真とされるものには諸説ある.

 この男は,幕末という激動期に生きた.新選組という,日本史上にそれ以前もそれ以後にも類のない異様な団体をつくり,活躍させ,いや活躍させすぎ,歴史に無類の爪あとを残しつつ,ただそれだけのためにのみ自分の生命を使い切った.

 かれはいったい,歴史の中でどういう位置を占めるためにうまれてきたのか.

 わからない.歳三自身にもわかるまい.ただ懸命に精神を昂揚させ,夢中で生きた.そのおかしさが,この種の男の持つ宿命的なものだろう.その精神は充血すればするほど,喜劇的になり,同時に思い入れの多い悲劇を演じてしまっている

 土方が函館で身につけていたとされる黒のマントとブーツは,西洋式軍装を採り入れた先進性を象徴している.実用性だけでなく,いかに最新の戦術や軍装に関心を持ち,実際に取り入れたかを示すものでもある.五稜郭戦の直前には,参謀として西洋式戦術を採用し,ゲリラ戦を仕掛けながらもついには官軍の圧倒的な兵力に押される様子が記録されている.戦局が悪化する中,土方は兵士たちの士気を保つため,常に最前線に立ち続けた.戦死の直前,味方の兵に「俺がやられたら,すぐに撤退しろ」と命じていたという.本書は累計500万部を超える大ベストセラーとなり,新選組のイメージを一新した.武蔵国多摩郡でバラガキ――乱暴者,不良少年――と呼ばれた土方は,剣術を自己流で磨き,やがて近藤勇をも凌ぐ腕前を誇るようになる.京に上り,新選組を組織した土方と近藤は,池田屋事件や禁門の変で,討幕派を震え上がらせた.一方で,隊内を乱す芹沢鴨や伊東甲子太郎などの同志を容赦なく粛清し,敵にも味方にも恐れられる存在となった.

 司馬は,この小説で土方を喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている人物として描いた.政治思想を持たず,芸術家が芸術に没頭するように戦い続けたその生き様を「喧嘩師」と形容している.新選組は維新体制下では逆賊として顧みられず,人斬り集団として扱われることもあった.しかし,子母澤寛の『新選組始末記』による再評価の機運が生まれ,司馬による本作と『新選組血風録』によって,戦後の新選組人気は決定的なものとなった.その後の新選組を扱う創作作品の多くは,いずれも司馬作品の影響を色濃く受けている.京へ出て新選組を結成し,維新志士たちと激闘を繰り広げ,江戸幕府瓦解後も官軍に降伏せず,箱館戦争において壮絶な戦死を遂げる.近藤勇と並ぶ悪役として描かれることが多かった土方歳三は,司馬の手によって,ハードボイルド小説の主人公のような,男も女も惹きつけるニヒルな魅力の人物へと生まれ変わった.『竜馬がゆく』の坂本竜馬と対極のヒーローとして造型されたのである.

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原題: 燃えよ剣

著者: 司馬遼太郎

ISBN: 410115208X, 4101152098

© 1972 新潮社