| 一六六五年,ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた.逃れえない死の恐怖に翻弄された人々は死臭たちこめる街で,神に祈りを捧げ,生きのびる術を模索した.事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは,読む者を慄然とせしめ,最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ.極限状況下におかれた人間たちを描き,カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作――. |
ロンドンを襲った大ペスト(1665-1666)の記録として1722年に発表された本作は,一人称視点で語られるが,ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)自身がペスト流行時にわずか5歳であったため,記録や証言を基にした再構成的な作品である.アルベール・カミュ(Albert Camus)『ペスト』と並び,疫病文学の古典として高い評価を受けている.厳密な章立てを持たず,時系列的に展開しながらも頻繁に脱線や反復が挿入される形式は,リアリズムの追求によって読者に当時の混沌とした状況を実感させる狙いがあると考えられる.語り手「HF」は地名や死者数の統計を詳しく提示しつつ筆を進めており,ドキュメンタリー性を強化している.
記述の信憑性については,18世紀以降,歴史学的な観点から継続的に議論がなされてきた.当初はノンフィクションと見なされていたが,19世紀以降,創作の要素を多分に含むことが指摘されるようになった.エドワード・ウェドレイク・ブレイリー(Edward Wedlake Brayley)は歴史的事実に基づく記録文学として擁護し,ナサニエル・ホッジス(Nathaniel Hodges)やサミュエル・ピープス(Samuel Pepys)の記録と比較することで正当性を主張した.一方,ウォルター・ジョージ・ベル(Walter George Bell)は,デフォーの記述が一次資料を無批判に引用している点を問題視し,史実性に疑問を呈している.デフォーは200以上のペンネームを使い,300冊以上の著作を発表した多作の作家であった.商業的失敗や政治的弾圧を経験しながらも,ジャーナリスティックな視点を持ち続けた.
1665年から1666年にかけてロンドンの人口の4分の1が失われるという壊滅的な事態の中で,人々がどのように行動し,どのように適応したのか.デフォーはその全貌を一人称視点で描き出し,読者に極限状況のリアリティを体験させる.執筆時期には,1720年のマルセイユにおけるペスト流行が影響を及ぼしていたと考えられる.イギリス国内においても公衆衛生対策の重要性が再認識された時期であり,デフォーが疫病の教訓を歴史的枠組みの中で提示する意図を持っていた可能性は高い.都市封鎖,感染者隔離,感染経路の考察が精細に描かれており,これらの記述は後世の公衆衛生政策にも影響を与えた.デフォーの文学的手法は,本作を歴史とフィクションの境界領域に位置づける.
デフォーはしばしば実録風のスタイルを採用し,実際にあった出来事であるかのように錯覚させる叙述技法を駆使した.作中のロンドンの描写は,当時の都市社会における人間行動の多様性を明確に浮かび上がらせる.死者を運ぶ荷車が街を往来し,「死体を運び出せ!」との叫びが響く光景,信仰に救いを求める者,恐怖から非合理的行動に走る者,あるいは無秩序な暴動や犯罪の増加――危機的状況下における社会的・心理的変容が克明に描かれる.疫病を神罰と見なす宗教的熱狂や,民間療法に頼る人々,デマや偽情報の流布,疑似医療の蔓延,社会不安の増大による暴動の多発など,大ペスト時代と現代のパンデミックには時代を超えて再現的な混乱が見られた.本書は,疫病という危機に直面した人類の普遍的行動パターンを描いた書とみるべきであろう.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: A JOURNAL OF THE PLAGUE YEAR
Author: Daniel Defoe
ISBN: 9784122051843
© 2009 中央公論新社
