▼『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史

映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書)

 なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか.なんのために?それで作品を味わったといえるのか?著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は,やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる.一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか?いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか?あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作――.

 像コンテンツの倍速視聴は,気の短さや注意力散漫の問題ではなく,現代社会の構造や消費行動に深く根ざした必然的な現象である.効率性を重視する時代において,倍速視聴が果たしている役割,その背景にある社会的・心理的要因を本書は考察する.倍速視聴を生んだ外的要因として,NetflixやAmazon Primeなどのサブスクリプション型サービスは,低コストで無限に近いコンテンツへのアクセスを可能にした.かつて,映画館で観る映画は特別な体験であり,一本の作品に時間と費用を投じることが当然だった.しかし,現代では「月額制で見放題」という仕組みが,一作品にじっくり向き合う姿勢を崩し,多くの作品を効率的に消費することを前提とした視聴スタイルを生み出した.

 1960年代にマーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan)が「メディアはメッセージである」と指摘したように,視聴スタイルがコンテンツの在り方や視聴者の態度を規定している.「セリフによる過剰な説明」は,倍速視聴が進む理由として重要である.近年の映像作品には,観客の理解を助けるために「説明」が氾濫している.誰でも理解できる作品が求められる時代の要請であり,製作側も視聴者の視聴環境の多様化に対応しているからである.移動中や家事をしながらの「ながら視聴」が一般化しているため,視覚情報に頼らず音声だけで内容が伝わる必要がある.その結果,細部の演出や映像美に込められた意味が希薄化し,結果として視聴者は倍速でも十分理解できる状態に慣れてしまった.

『作品』の良し悪しの基準をあえて設定するなら,『鑑賞者の人生に対する影響度』とでも言うべきものになるだろう.それは数値化できず,他の鑑賞者にまったく影響をおよぼすことはない,という意味において,再現性も皆無だ

 タイムパフォーマンス(タイパ)という言葉が示すように,現代人にとって限られた時間を有効に使うことこそ,重要な価値観となった.効率的に作品を消費し,話題についていくことや重要な要素だけを把握することが優先される時代にあっては,作品の味わいよりも消費が重視されるのである.こうした視聴習慣が一時的な流行ではなく,技術革新やビジネスモデルの変化と密接に結びついた構造的な現象である可能性がある.映画やドラマの制作費回収モデルは,広告収入やサブスクリプション契約によって成り立っているため,PV数が収益に直結する.結果として,製作側は見やすく理解しやすい作品作りを優先し,早く,多く消費することを求められる.倍速視聴は理解を早めるための手段,話題に乗り遅れないための戦略として正当化される場面が多い.

そこで生じる気まずさ,緊張感,俳優の考えあぐねた表情.それら全部が,作り手の意図するものだ.そこには9秒でも11秒でもなく,10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)

 本書に登場する視聴者は,本当に面白かったら改めて通常速度で見るという柔軟な姿勢を示している.視聴者が倍速視聴を作品を最大限に楽しむための「最適化」として受け止めているとも解釈できる.本書は,映像作品が作品からコンテンツへと呼称が変化したことに着目し,消費としての視聴スタイルが一般化した現象として倍速視聴を位置付けている.この構造が倍速視聴を自然な視聴スタイルとして確立させている視点は面白いが,同時に消費への過度な批判が込められている点は一面的である.鑑賞体験には時間をかけて味わうことに意味があるとする姿勢は,現代の消費スタイルとは対立する.しかし,倍速視聴が怠慢や軽薄さではなく,より多くの体験を得たいという欲求に基づいていると理解すれば,現代社会に適応した新たな鑑賞法として評価すべき面もあるだろう.倍速視聴を通じて,より多くの作品に触れることで,視聴者が新たな表現や価値観に出会う可能性も否定できないのである.

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原題: 映画を早送りで観る人たち―ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形

著者: 稲田豊史

ISBN: 4334046002

© 2022 光文社