▼『力士漂泊』宮本徳蔵

力士漂泊 相撲のアルケオロジー (講談社文芸文庫 みI 1)

 相撲の神話,宗教,文化を解き明かす考古学モンゴルの平原から,朝鮮半島を経て,古代日本に渡来した相撲.その発生から現代に至る相撲の歴史を,チカラビトたちを巡る様々なエピソードを織り込んで綴る――.

 技館の中心に座する土俵は,金剛界曼荼羅の構造の中核,すなわち宇宙の一極を表している.円形の土俵は,古来より日本文化に根ざす「円環」の象徴であり,宇宙と力士が交わる神聖な場であることを示している.宇宙エネルギーの化身である金剛力士は,運慶の彫った阿吽(あうん)の呼吸で「阿」と口を開けているのが勝者,「吽」と口をつぐんでいるのが敗者である.相撲の勝敗は,この阿吽の呼吸に象徴される.力士は土俵上で宇宙の力を受け,勝者はその力を解放し,敗者はそれを受け止める.この解釈は,相撲の精神性をより深く理解するための鍵となる.相撲が武芸であるのは,そもそもは組討を鍛錬するための武術の練磨であるからであった.

 日本三大敵討の1つ,曽我物語では,工藤祐経によって殺害された河津三郎祐泰の遺児,曽我十郎祐成と五郎時致兄弟が苦節18年を忍び,源頼朝が富士の巻狩りを催した際,ついに宿敵工藤祐経を討つ.この仇討ちは,日本の武士道精神の象徴として語られるが,河津三郎祐泰が相撲の達人であり,組討の技術が後の武士たちに多大な影響を与えたことである.相撲の原型はアジア北方に起源を持つとされる.モンゴル相撲ブフは,組技を主体とする格闘技として発展してきた.土俵を持たないブフでは,寄り切りよりも投げ技や足技が重要視される.ブフの影響は現代の大相撲にも色濃く見られ,朝青龍や白鵬をはじめとするモンゴル出身の力士たちは,この伝統を取り入れながら日本の相撲文化と融合させ,新たな技術体系を築いてきた.

 1985年,両国に新国技館が完成した.春日野理事長(元横綱栃錦)が全く借金をせずに建立したという逸話は,当時の相撲界の財政的健全性を物語る.落成式で披露された古式三段構えは,相撲の神事的側面を強く印象づけるものであった.上段・中段・下段の三種類からなる演舞は,横綱にのみ許された儀式であり,厳粛な空気の中で行われた.この儀式の直後,当時の横綱北の湖は体調不良のまま初場所に挑み,初日から二連敗,三日目には引退を表明するに至る.身長180cm,160kgの巨漢無双力士の無念な晩年として,今も語り継がれている.相撲の精神性は,土俵上の所作にも表れている.四股や柏手は邪気を払う儀式であり,取組前に塩を撒く行為には,殺菌効果以上の意味が込められている.それは土俵を神聖な空間として清め,力士が無事に勝負できることを祈願する神事の一環である.

京橋,日本橋に住むふつうの市民にとって,橋の向こうの地域(いわゆる向両国)は「異境性」を持っていた.それを渡ることは,生者の国から死者の国へ足を踏み入れるに等しい行為だった

 土俵は相撲の行事のたび命を吹き込まれ,その役を終わるたびに死ぬ.それを鎮魂のパフォーマンスと表現する著者の論考は,一般人には窺い知れない視点を披瀝している.相撲は格闘技でも,武術でもなく,日本文化の深層に根ざした「神事」「興行」「競技」が融合した独特の伝統文化なのである.土俵に立つ力士たちは,単なる競技者ではなく,チカラビトとしての役割を担っている.古来より力士は無頼の風貌を持ち,その存在感は神話的ですらある.観衆が息をのむ瞬間,土俵の中心には宇宙と合一する力士の姿がある.三段構えの儀式で対峙した二人の横綱が発する気は,凡庸な力士が踏み入れば弾き飛ばされるほどの圧力を持つ.その場に立つことを許された者だけが,真のチカラビトとしての資質を示すのである.

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原題:力士漂泊―相撲のアルケオロジー

著者: 宮本徳蔵

ISBN: 4062900564

© 2009 講談社