▼『共産主義の系譜』猪木正道

新版 増補 共産主義の系譜 (角川ソフィア文庫)

 全体主義に抗す自由主義の論客として知られ,高坂正堯ら錚々たる学者を門下から輩出した政治学者,猪木正道.氏が,マルクス,レーニン,スターリンからチトー,毛沢東に至るまで,共産主義の思想と運動の歴史を一貫した視点で平易に読み解き,画期的な批判的研究書として多くの識者が支持した名著――.

 ルクス主義思想とその歴史的展開を分析した政治思想史の名著.1949年の初版から2018年の復刻版まで,70年にわたる共産主義運動の変遷を一貫した視座から捉えた点で価値を持つ.著者は「原始マルクス主義」という独自概念を用い,マルクス主義の革命理論が未成熟な資本主義国ドイツの専制体制への対抗として構想されたことを指摘した.この洞察は,マルクス主義が資本主義未発達国で受容された歴史的逆説を説明する鍵となっている.

 本書の分析によれば,プロレタリアート概念は実際の労働者階級観察ではなく,ヘーゲル哲学からの演繹に基づいていた.最大の功績は,GHQによる言論統制下という困難な時期に,マルクス主義に対する冷静かつ批判的分析を公刊した知的勇気にある.概念的基盤がプロレタリアート独裁の名の下に全体主義体制を生み出す危険性を内包していたという指摘は鋭い.さらに,西田幾多郎や田辺元ら京都学派との交流から得た日本哲学の視点をマルクス主義批判に応用した独創性を示している.

 ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach)の人間主義評価,ウラジーミル・レーニン(Владимир Ленин)の「外部注入」説と党組織論,宗教の単純化された否定と道徳的自由の抹殺など,共産主義思想の各系譜を綿密に分析している.ツァーリによるレーニンの兄アレクサンドル・イリイチ・ウリヤノフ(Алекса́ндр Ильи́ч Улья́нов)処刑という個人的経験がレーニンの思想形成に与えた影響についての洞察は興味深い.一方で,1949年執筆時のスターリン主義の評価は,後の歴史的評価と乖離している点は否めない.

 著者はスターリン時代の全容が明らかになった後,自らの評価を率直に修正したという逸話が残されており,自己批判の態度を示している.防衛大学校長時代,学生に「軍人である前に一人の思考する知識人であれ」と説き,全体主義下での個人の思考抑圧に対する警戒を伝えた.本書の現代的意義は,共産主義の思想的多元主義の必要性を先取りした点にある.マルクス主義を単に否定せず,その思想的起源と変容を丹念に追うことで,イデオロギー対立を超えた対話可能性を模索した学問的姿勢は,新たな思想対立の時代を迎えた現在こそ学ぶべき点が多い.

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原題: 共産主義の系譜

著者: 猪木正道

ISBN: 4044004110

© 2018 KADOKAWA