| ほんものの教育をしたいという願いから,社会科を手がかりに生活綴方の指導をおこなった山形県山元村中学校の教師,無着成恭(一九二七―)が,その成果をまとめた詩・作文集(一九五一年刊).いまなお読む者の心を強く打たずにはおかない克明でひたむきな生活記録.戦後の教育に大きな影響を与えた――. |
山形県山元村(現・上山市)山元中学校の学級文集『きかんしゃ』をもとに,担任教師の無着成恭によって編纂された実践記録文集である.貧しい農村で育つ中学生たちが,日々の生活の中で直面する困難や疑問を率直に記し,集団で議論しながら学びを深めた記録が収められている.無着が目指したのは,教科書に依存しない「ほんものの生活態度」を育む教育であった.戦後,日本の教育はGHQによる民主化政策のもとで大きく転換し,社会科が導入された.しかし,多くの教師が新しい教育方針に戸惑い,従来の知識注入型の授業から脱却できずにいた.
無着は社会科を「生活そのものを学ぶ場」と位置づけ,子どもたちに自らの生活を記録させることで,現実社会を洞察し,主体的に考える力を養おうとした.代表的な作品として,江口江一「母の死とその後」が挙げられる.この作文は,母の死という個人的な出来事を通じて,貧困や社会制度の問題を鋭く捉えたものであり,日教組文集コンクールで文部大臣賞を受賞する評価を得た.江口の作品に限らず,本書に収められた多くの作文には,当時の農村社会に根強く残る封建的な慣習,経済的困窮の現実が赤裸々に描かれている.
ひたむきな文章には,子どもの鋭い眼で現実を見つめ変革を求める姿勢が読み取れる.敗戦による混乱から立ち直る過程で,農村と都市の経済格差が拡大し,多くの地域で教育機会が均等に提供されていなかった.本書は,そうした現実を直視し,子どもたち自身が主体となって学ぶ意義を示した点で,当時の教育界に大きなインパクトを与えた.刊行直後の2年間で18刷12万部を売り上げるベストセラーとなり,1952年には映画化,さらに演劇化もされるなど,文学や芸術の分野にも影響を及ぼした.一方,『山びこ学校』の教育実践は,一部から強い批判も受けた.
無着が1953年にウィーンの世界教員会議に出席し,ソ連経由で帰国したことが問題視され,2か月間の月給停止処分を受けるなど,政治的な圧力を受ける場面もあった.当時の冷戦構造の中で,無着の教育方針が左翼的と見なされたことは当然でもあった.無着は1954年に山元村を去り,教育者から僧侶へと転身する道を選んだ.とはいえ,無着の教育理念はその後も受け継がれ,1956年に明星学園に移り,『続・山びこ学校』を刊行しながら,自由で主体的な学びを追求し続けた.また,1964年からはTBSラジオ「全国こども電話相談室」の回答者として広く親しまれ,教育の在り方について発信し続けた.
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原題: 山びこ学校
著者: 無着成恭
ISBN: 4003319915
© 1995 岩波書店
