| Neophilia(新しもの好き)‥‥これが,ヒトの進化の源だ!なぜヒトだけが進化を遂げたのか?人間の環境,機能,行動を多面的に分析し,何ものかによって生かされている“人間存在”を浮かび上がらせる,きわめて刺激的な“ライフサイエンス・ファンタジー”――. |
チャレンジを好み,新しい刺激を求める傾向には,つねに一定のリスクが伴う.しかも,新奇性の欲求はすべての個体に等しく備わっているわけではない.変化や刺激を積極的に求める性向をネオフィリック(neophilic)と呼ぶならば,未知や変化を避け,安定を重視する傾向はネオフォビック(neophobic)と呼ぶことができる.生物におけるこの差異は,個体の行動様式にとどまらず,進化の過程にまで深く影響を及ぼしている.こうした個体差を含んだ生の営みを包括的に扱う学問が,生態学である.より広義には「複雑な生物の生を,器質,生活様式,他の生物や環境との関係性から探究する学問」と定義されるべきものである.ライアル・ワトソン(Lyall Watson)は,この生態学を核に据え,新自然学(new natural science)という独自の視座を打ち立てようとした人物であった.動物行動学で博士号を取得し,植物学,化学,地学,地理学,物理学,心理学,動物学,海洋生物学,生態学といった諸分野で学位を取得した知的越境者であり,ヨハネスブルク動物園の園長や英国国営放送(BBC)のプロデューサーを歴任した.
どの学問領域においてもフィールドワークを重視する点において,立ち位置は一貫していた.人類は,環境に順応しながら多様な刺激を享受し,それによって進化してきた生物である.この多様性こそが進化の原動力であり,それは種の違いにとどまらない.1992年,リオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミット以降,環境保全や自然資源の活用をめぐる議論においても,多様性という概念が急速に中心化していった.従来は種多様性と呼ばれる単純な指標が用いられ,たとえばある地域で100個体の生物が確認され,そのうちA種が97体,B種が2体,C種が1体であったとしても,その数的差異には注意が払われなかった.しかしこの見方では,別地域でまったく異なる種構成が現れる可能性を捉えきれない.結果として,多様性には種の数だけではなく,各種の個体数の比率や生息の均衡性が重要であることが理解されるようになった.現在,地球上では約180万種の生物が記録されており,未発見の微生物や下等生物を含めれば,数千万種に及ぶとも推測されている.これがいわゆる「種」単位である.
生物の個性はクローンを除いてすべて遺伝的に一意であり,たとえば両親がくせ毛であれば,その子にくせ毛が現れる確率は86%に達する.これが「遺伝」単位である.そして最も注目すべきは,同じ環境内でいかにして異なる生物が共存し,棲み分けているかを示す「生態系」単位である.この三つの軸――種,遺伝,生態系――によって,生物多様性は初めて総合的に捉えることが可能となる.1991年から4年間,旧文部省が推進した重点領域研究「地球共生系:多種共存を促進する作用機構」では,「なぜ多くの生物が同じ場所に棲めるのか」を主題とした研究が展開された.ここで登場した「地球共生系」という語は,当時の代表・川那部浩哉によって命名された造語である.その意図は,単に生物が地球環境に適応して進化したという従来のモデルではなく,環境そのものもまた,生物の進化に応じて変容するという相互影響的なビジョン――すなわち共進化(co-evolution)を提示するものであった.この共進化という視点から見れば,J.B.S.ホールデーン(J.B.S. Haldane)の有名な遺伝子勘定も,合理性の極みとして理解できる.自分が死んでも兄弟3人か,従兄弟9人を助けられるならば遺伝的には得であるという説である.
兄弟は遺伝子の半分を共有し,従兄弟では8分の1である.ゆえに兄弟2人では帳尻が合わないが,3人を救えば遺伝子の「損得勘定」は黒字になる.この視点は,利己的な遺伝子の理論を基盤に置くときには説得力がある.しかし,ワトソンは利己的遺伝子理論に全面的に依拠しているわけではない.彼の思索は,人間が社会的混成集団の中で成長し,さまざまな困難を乗り越える力の背景に,遺伝子を超えた価値「寛容さ」の存在を認めている.それは,利己的な遺伝子を抑えるための社会的緩衝材であり,無私無欲な心の資源として,人間の進化に寄与してきた可能性があると彼は考える.この点において,ワトソンはネオフィリックな性向を人間の発展に寄与するポジティブな資質として評価している.ただし,果たしてその「無私無欲な心の資源」が現代社会において現実的に機能しうるのか,その実現可能性については慎重な検証が求められるだろう.寛容さが過剰になれば,選択の原理が不明瞭となり,種の維持さえ危うくなるかもしれないからである.
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Title: NEOPHILIA - THE TRADITION OF THE NEW
Author: Lyall Watson
ISBN: 978-4-480-86025-5
© 1988 筑摩書房
