▼『ハンムラビ王』中田一郎

ハンムラビ王: 法典の制定者 (世界史リブレット人 1)

 ハンムラビは今から3400年以上も前に,43年もの間バビロンの王として君臨した.治世晩年に編纂させたハンムラビ法典の「あとがき」によると,彼は後世の人々に,戦いに勝利した王,人々に安寧と豊饒をもたらした王,そしてなによりも社会的にもっとも弱い立場にあった孤児や寡婦を守る「正しい王」として認められたいと願っていた.本書では,ハンムラビが本当にそのような王であったのかどうか,当時の史料に基づいて検証する――.

 ソポタミアの文献に「正義」という語が明示的に現れるのは,古アッカド時代(前2334〜2139年頃)の末期である.正義(ミシュアルム/キットゥム)という理念は,文明の成熟と共に生まれたものであり,ハンムラビ(Hammurabi)は,アッシリアやイシン・ラルサといった強国に囲まれた小都市国家バビロンの王として,外交同盟と軍事戦略を駆使して周辺勢力を制圧し,マルグム,ラピクム,マリといった都市を次々に傘下に収めていった.バビロンによる覇権は,シュメールとアッカドという南北二大文化圏を統合し,やがて「バビロニア」と呼ばれる地域の成立を促した.ウル第3王朝滅亡(前2004年)後に始まる古バビロニア時代である.ハンムラビの治世は,灌漑技術の発展と生産性の向上を背景に,市民生活の安定化が求められた時代であった.

 民衆に豊穣を保障する統治者として,ハンムラビは正義の維持者たる王の理想像を体現しようとした.ハンムラビ法典は,ウルナンム法典,リピト・イシュタル法典,エシュヌンナ法典に続く第四の成文法典とされ,最も包括的な内容と構成を持つ.ルーヴル美術館に所蔵される玄武岩製の碑には,太陽神シャマシュの前に立ち王権を授与されるハンムラビの浮彫が刻まれている.シャマシュは太陽神であると同時に正義の神とされ,王権とは本質的に司法権の正当な行使に根ざすものであることを,このレリーフは示唆している.碑文には楔形文字によってアッカド語で282条の条文が記され,「商業」「婚姻」「相続」「農業」「奴隷制度」「犯罪」を網羅する.とりわけ,階層ごとに異なる刑罰を規定するという点で,当時の身分制社会の価値観を反映している.

 当時の社会的構造には,上層自由人(アウィールム),一般自由人(ムシュケーヌム),奴隷という三階層が存在し,上層自由人に損害を与えた場合には「目には目,歯には歯」という同害報復原則に基づいた厳格な罰が科された.この原則は,復讐の制度化というより,むしろ報復の私的連鎖を抑止するための社会的制御であった.実際,ハンムラビ法典以前の法典には,こうした明確な身分別刑罰の体系は見出されず,本法典の特異性を物語っている.ハンムラビ法典は,現代的意味の法典――体系的に編纂された法規集――というよりも,判例集に近い構造を持つ.だが実際にこの法典に基づいて裁判が行われた直接的な記録は残されておらず,規範的な大典の扱いであったと思われる.

 法典の存在が近代まで忘れ去られていたことも,歴史的に注目すべき点である.1901年,フランスの考古学調査団によって,イラン南西部スーサの遺跡で法典の断片が発見され,翌年には完全な碑文が発掘された.この発見は,当時としては旧約聖書の律法体系に匹敵するほどの衝撃をもって迎えられ,訳者ジャン=ヴァンサン・シェイル神父(Jean-Vincent Scheil)によってわずか半年で全訳出版された.スーサの地にこの碑があったのは,後にバビロンを征服したエラム人が戦利品として持ち帰ったためであった.最後に,ハンムラビ自身が自らの治世の最後に記した法典の「あとがき」では,戦に勝ち,豊穣をもたらし,弱者を守る王として記憶してほしいという願いが表明されている.すなわち孤児や寡婦――社会の中で最も弱い立場にある者たち――の保護こそ,理想とした賢王の姿だった.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: ハンムラビ王―法典の制定者

著者: 中田一郎

ISBN: 9784634350014

© 2014 山川出版社