| 小学校にあがる血液型検査で,出生時の取り違えがわかった二人の少女.他人としか思えない実の親との対面,そして交換.「お家に帰りたいよう.」子供たちの悲痛な叫び.沖縄で実際に起こった赤ちゃんの取り違え事件.発覚時から,二人の少女が成人するまで,密着した著者が描く,家族の絆,感動の物語――. |
沖縄がアメリカの統治下にあった最後の年(1971年).県立病院で同日に生まれた二人の女児が,出生時に取り違えられるという深刻な過誤が起きた.だがそれが露見するのは,6年後,就学前の血液型検査という極めて日常的な検査によってであった.病院側の「取り違えの可能性は否定できません」という一言は,無数の感情と倫理を巻き込んで,2つの家族を長年にわたり揺さぶり続けることとなる.この事件が異様な重みを持つのは,病院の過失にとどまらず,血縁とは何を意味するかという根源的な問いを突きつけたからである.
法律上,民法第820条が「子の監護と教育の権利及び義務」を親に認めているが,2011年の改正で明記された「子の利益のために」という条文は,こうした予期せぬ事態への立法的応答でもあった.沖縄は血縁と門中(ムンチュー)制度の強い影響を受けており,「どこの出か」という出自意識が人間関係を規定する土壌がある.こうした文化的背景の中で,実の親と名乗り出た家族が他人としてしか感じられないという子どもたちの混乱は,地理的な距離以上に心理的な負担を大きくした.著者が『女性自身』の長期企画としてこの家族に密着し,十数年にわたり記録した事実には,ジャーナリズムが人間の傷にどこまで寄り添えるか,という実践記録でもあった.
親子というのは,本来「血」と「情」は不可分なものである.それがいきなり断ち切られたことは,親の苦難もさることながら,二人の子供たちにははかり知れない衝撃を与えたはずだ.しかし,その後の二人の生き方は多少違ったものになった.育ての親への断ち切りがたい絆は美津子の人生を大きく狂わせていった.彼女は「血」と「情」のあいだで彷徨いながら,ついに智子との「情」を選んでしまったのである
2013年,2人の女児が共に成人し,同じ会場で合同結婚式を挙げたという出来事は,奇縁がもたらした一つの帰結として,象徴的である.1948年に始まった母子健康手帳は,1971年までに広く普及していた.この手帳は出生の記録を詳細に残す制度的補助線となりえたが,本件のような病院での手続きの不備を完全に防げるものではなかった.血液型の組み合わせによって親子関係の否定が可能になるという事実は,戦後の医療知識がようやく一般家庭に浸透し始めた時代背景を反映している.
本書の核心にあるのは,「誰によって育てられたか」が「誰から生まれたか」を超える瞬間がある,という逆説である.それが成立するには,双方の家族が奇跡的なバランスで尊重と交流を継続したからこそである.家族という制度が血縁や戸籍以上に,情と時間の蓄積によって成り立つという普遍的な命題が,沖縄という土壌でよりくっきりと浮かび上がる.「帰りたい」と泣き叫ぶ子どもに,誰が「ここがあなたの家だ」と言えるのか――その答えを持つ者は誰もいない.しかし,問い続けることの中にしか,ほんとうの家族の輪郭は立ち現れない.
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原題: ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年
著者: 奥野修司
ISBN: 9784167656416
© 2002 奥野修司
