▼『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』鈴木猛夫

「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活〈新版〉

 第二次大戦後,アメリカの余剰小麦が日本に供給され,食生活「改善」を求める日本側関係者も呼応して,日本人の食生活は劇的に洋食化し,西洋の食材に基づいて「栄養」を捉えるようになってしまった.食料行政と食品業界のタブー=“アメリカ小麦戦略”の真相に迫り,非精白米を基本にした,風土にあった食生活の復活を訴える――.

 後日本における食生活の急激な変容の背後に潜む構造的な意図――アメリカの農業政策とその余剰処理戦略――が,日本の食糧政策や食文化に与えた影響を,批判的視座で明らかにした異色のドキュメントである.中核をなすのは,敗戦後の日本に供給された「アメリカの余剰小麦」がいかにして学校給食という形で全国に流通し,結果的に国民の主食観や栄養観,さらには「和食」そのものの地位までもが変質させられたかという問題である.この変化は「洋食化」と単純化できるものではなく,アメリカの農業保護政策,対共産主義戦略にもとづく文化的覇権の一環であったと喝破する.

 第Ⅰ部で描かれる学校給食への粉食(=パン食)導入プロセスは,子供の健康と成長のためという建前の裏に,小麦の消費市場を確保したいアメリカ政府の意図があったことを暴露する.当時の報道・官僚資料・アメリカ側の公文書などを駆使した筆致は迫力に満ちている.一方で第Ⅱ部では,「脚気論争」「主食論争」など,戦前から日本に存在した栄養学的議論に焦点を当てることで,欧米型栄養学が日本に導入された経緯,その際に何が失われたかが浮かび上がる.欧米の栄養学が肉・乳製品・パンを中心とした生活を前提に構築されていることを指摘し,それをそのまま日本人に当てはめたことが,戦後の食育や健康政策に致命的なミスマッチを生んだと批判する.

 日本人と欧米人の腸内環境や代謝の違い,風土的作物との相性といった実証的視点に基づく議論であり,日本型栄養学の重要性を力強く主張している.本書を読み進めるうちに,学校給食のパンや牛乳が「自然なもの」ではなく,戦略的に導入された「異物」であったという感覚に襲われるだろう.「異物」は,やがて常識となり,和食中心だった戦前の食卓は見る影もなく様変わりした.この過程で失われたもの――例えば,季節と連動した献立,米を中心にした栄養バランス,味噌や漬物など発酵食品の知恵――を再発見し,日本型の食生活とそれを支える農業政策の再考を促すのが,本書の真の目的である.気候変動対策や食料自給率,国民の精神的安定にまで関わる「文明論的課題」として提示されている点で興味深い.

 特筆すべきは,代替案としての「非精白米を基本にした和食」への回帰を提唱している点である.アメリカから日本に供与された小麦は,もともとは家畜の飼料として余剰化していた等級の低いものであった.また学校給食の牛乳がしばしば脱脂粉乳という廃棄物に近い加工品だったことなど,今日の健康的な食生活というイメージとは正反対の出自をもっている背景を知ることで,現在の常識への疑念はさらに深まる.「アメリカ小麦戦略」の批判的検討は,食文化の背後に潜む国際政治の力学,我々の身体と精神に及ぶ文化的変容を見つめ直す鏡であり,日本人が「何を食べてきたか」という問いを通じて,「何者であったか」を再確認し,食文化の将来を模索するための知的羅針盤にほかならない.

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原題: 「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活

著者: 鈴木猛夫

ISBN: 4865783741

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