| 新聞の身の上相談欄を担当する孤独な娘は,投書者の手紙に対応しているうちに彼らの悲惨さにのめりこんでいく.回答に煩悶する孤独な娘も,都市生活者の苦悩をかかえていた.大恐慌後の1930年代アメリカ.そこには現代人の憂鬱が集約的に現れていた.孤高の作家ウェスト(1903‐1940)の代表作――. |
アメリカ大恐慌のただ中に発表されたにもかかわらず,政治的プロパガンダには陥らず,むしろ人間の絶望と制度の機能不全を冷笑的に描き出す作品である.その文体と構成はきわめて表現主義的でありながら,道徳的教訓や解決策の提示を拒んでいる.本作の舞台は,禁酒法時代の終焉を間近に控えたニューヨーク.そこでは新聞の身の上相談欄が一種の宗教的告解となり,人々の病的な孤独と救済願望が匿名で吐露される.主人公の新聞記者は“ミス・ロンリーハーツ”という筆名で相談に答える役割を担うが,やがてその役割は彼にとって精神的苦痛となり,職業倫理と個人の救済という相克の只中に引き裂かれていく.
無数の手紙の描写にあるのは,社会の下層に生きる人々の実存的な呻き声であり,性暴力,家庭内暴力,貧困,孤独,醜形恐怖といった,生々しくも語るに値しないとされる悩みのオンパレードである.彼らは「心の形をしたクッキー・ナイフで,苦悩の練り粉から抜き取られた」かのように,型通りの言葉しか得られない.そうした救いのなさは,シュライクという皮肉屋の編集長によってさらに際立たされる.シュライクは,読者に希望を与える建前の回答を良しとし,ミス・ロンリーハーツの葛藤や深刻な共感を逆に嘲笑するのである.著者自身が脚本家としてハリウッドで働いていた経験が本作に影を落としていることが指摘されている.
虚構を売り物にする映画産業と,希望を売る新聞産業との共通点に深く幻滅していた.この匿名の語り手に名前を与えないことで,役割を普遍化する.都市生活における「共感の機能不全」そのものの象徴である.この手法は,ポストモダン文学における主体の解体に先駆けるものであった.実際,1960年代以降,トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon),ドン・デリーロ(Don DeLillo)らが台頭した時代において,本書の作風が再評価されたことは偶然ではない.不安や暴力,無意味さが支配する世界において,いかにして言葉や役割が空洞化するかを,物語そのもので体現していたのである.
ミス・ロンリーハーツは何度も救世主の幻影に取り憑かれ,殉教者のような行動を試みるが,そのたびに滑稽で無惨な結末に突き落とされる.この繰り返しによって,救済や再生の物語的可能性すら断念され,結末では暴力と狂気が爆発し,道徳や希望といった“文学的調和”の原理そのものを風刺している.共感の言葉がテンプレート化された時,それはもはや共感ではなく,制度的な無視と等価である――その不快な真実を,笑えないブラックユーモアの中に描いた.著者はわずか37歳で交通事故により夭折するが,20世紀アメリカ文学における絶望の美学を定義づけた作家として,アメリカ文学史に刻まれている.
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Title: MISS LONELYHEARTS
Author: Nathanael West
ISBN: 9784003233917
© 2013 岩波書店
