▼『ラインズ』ティム・インゴルド

ラインズ

 文字の記述,音楽の記譜,道路の往来,織物,樹形図,人生‥‥人間世界に遍在する〈線〉という意外な着眼から,まったく新鮮な世界が開ける.知的興奮に満ちた驚きの人類学――.

 ナカイ狩猟文化に関する長年のフィールドワークで知られる著者が,「線」という概念を起点に,文化表現の総体を再構築しようとする.ここで扱われる「線(ライン)」とは,道や図形だけではなく,詩や楽譜,樹形図,カリグラフィー,果ては人間の人生に至るまで,人間が物質世界と交錯しながら描き続けてきた,あらゆる軌跡のことである.言語,文字,音楽,視覚芸術,建築,道,儀礼,系譜――一見無関係な領域にまたがる「線」の多様性を,一貫した比較人類学的視座から再統合しようとする試みはユニーク.

 建築家のフリーハンドのスケッチとシュメールの粘土板の線刻,李白の詩の筆致と中世の五線譜,星座の線と都市の道路網とが,すべて一つの連続体の変奏として読まれる.メタファーとしてではなく,実際に存在する「描線の文化史」として再構成するのである.本書が構想されたそもそもの発端は,「歌うこと」「話すこと」の違いという,文化言語論的にも音楽民族誌的にも古くて新しい問題意識にあったという.言葉・調べ・リズムが一体であったプリミティヴな声の形態が,いかにして意味の伝達,旋律の構成という異なる方向に分岐したかに着目する.

 その過程で,ウォルター・J・オング(Walter J. Ong)「声の文化/文字の文化」二分法にも疑義が差し挟まれる.オングが唱えた「思考と表現と声の文化」への郷愁的なまなざしに対して,非本質主義的な再構成を試みているからである.この点は,ポストモダン人類学における本質主義批判の潮流とも重なり合う.著者は意識的にイデオロギー批判に身を投じるわけではないが,線への執着は,あらゆる文化的実践を,固定された「もの」ではなく,プロセスとして捉え直す哲学的スタンスを感じさせる.デリダ的なエクリチュールの脱構築とも接点を持つが,むしろ実証的で詩的な語りを好む.

 「線」の理論は,動き,つながり,生成というダイナミクスにこそ主眼があり,静止した構造ではなく流動的な痕跡として文化を読む点で,斬新である.原著は2007年に出版されたが,構想の原型は2000年代初頭の講義や講演で幾度となく語られていたものである.著者は実際に講義中に黒板や紙の上に線を引きながら,文化の構成原理を可視化してみせるというパフォーマティヴな形式を好んだ.従来の人類学が「文化」「意味」といった抽象的な単位に偏りがちだったことに対する,実践的・感覚的な次元からの応答である.人間世界に遍在する〈線〉という,一見平凡なものが,ここまで射程をもって語られることは稀である.

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Title: LINES

Author: Tim Ingold

ISBN: 9784865281019

© 2014 左右社