■「わたしを離さないで」マーク・ロマネク

わたしを離さないで [DVD]

 外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは,他人に臓器を“提供”するために生まれてきた〈特別な存在〉を育てる施設.キャシー,ルース,トミーは,そこで小さい頃から一緒に過ごしてきた.しかしルースとトミーが恋仲になったことから,トミーに想いを寄せていたキャシーは二人のもとを離れ,3人の絆は壊れてしまう.やがて,彼らに逃れようのない過酷な運命が近づく.ルースの“提供”が始まる頃,3人は思わぬ再会を果たすが….

 国寄宿学校を舞台にした青春映画のように見えるが,生徒たちの出で立ちや生活様式は,戦前のように前近代的で,どこか奇妙である.その違和感に加え,冒頭のテロップ――「1952年 画期的な医療方法が発見された」「1964年 人類の寿命は100歳になった」――は,作品世界の根底にある不穏な真実を仄めかす.ヘールシャムと呼ばれる寄宿学校では,「健康には特別注意を払うように」と繰り返し教え込まれ,外界と接触した生徒には容赦ない制裁が下る.子どもたちは生まれながらに存在の意味を決定づけられた「製品」として育てられていく.彼らの人生は制度によって厳格に設計されている.

 18歳までは寄宿学校で過ごし,その後は仮設的な共同体「コテージ」で共に暮らす.そして適齢に達すれば,オリジナルの人間に臓器を「提供」する任務――死へ向けて段階的に摘出される運命に従う.驚くべきは,臓器摘出にあたっては,ヘールシャムやコテージの出身者が「介護人」として付き添う制度が整備されていることだ.つまり,摘出の苦痛や恐怖を和らげる支援すら,同じ運命を背負った者によって遂行される.制度的従順さこそが,国家や企業といった明示的な支配機構を描かずとも,圧倒的な強制力の存在を示している.提供の通知を受けるその時まで,彼らは運命に抗うことなく,むしろ美徳として受け入れるよう教育されている.

 介護人となることは一時的な猶予でしかなく,やがて誰もがドナーとなり,「終了」を迎える.その姿には,選択の余地なき「自由」,個人が存在しない倫理の砂漠が広がっている.原作は,日系英国人作家カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)による同名小説であり,2017年にノーベル文学賞を受賞する大きな契機ともなった.イシグロはこの作品で,ディストピアの枠組みを借りつつ,むしろ人間の「内なる従順さ」「希望という幻想」「記憶が与える慰めと束縛」に光を当てた.ヘールシャムの美術教育に込められた“魂の有無”を確認するという設定は,原作にはより深い含意がある.

 芸術表現を通じて彼らが「人間性」を証明できるかどうか――まさに,社会が人間と非人間の境界線をどのように引くかという倫理の問題系に直結している.にもかかわらず,それは結局制度を変えるものではない.どれだけ愛や魂があったとしても,運命を覆す力にはならないのだ.キャシーが介護人として,仲間たちの「終了」を見届けながらも,やがて自らの順番を静かに受け入れていく姿は,戦慄すべき諦念と,英国文学に古くから息づく叙情性とが結びついた特異な感動を生む.自由意志の不在の中でもなお,人は「人間らしくあろう」とすることの哀切な証明であり,「個」であることを許されなかった命たちの最期の輝きである.

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原題: NEVER LET ME GO

監督: マーク・ロマネク

105分/イギリス=アメリカ/2010年

© 2010 Twentieth Century Fox