| 2013年のある日,アメリカの経済規模が突然3パーセントも大きくなったのはなぜか?2008年,深刻な金融危機のさなかにイギリスの金融産業が大きく拡大したのはなぜか?これらの答えを握るのがGDPだ.この小さな数字は,ニュースをにぎわし,政治にも,日々の生活にも多大な影響を与えるが,その真の姿を理解している人は少ない――. |
GDP(Gross Domestic Product)は,ある国のある一定期間内に生産されたすべての財とサービスの市場価値の総和であり,公式でいえばY=C+I+G+(X-M)と記述される.経済の総体を一望できる「体温計」として,そのシンプルさゆえに多くの国で政策指標の中核に据えられてきた.日本においても内閣府が四半期ごとに算出・公表し,景気動向や金融政策の指針とされる.しかし,客観的な数字には厳然たる選択と排除の論理が存在する.GDPは,金融業の拡張を一律に「成長」とみなすが,2008年のリーマン・ショックにおいて露呈したように,それが必ずしも実体経済の健全性を意味するわけではない.リスクの過剰蓄積によって経済の土台が脆弱化していても,金融部門の膨張が統計的には繁栄を示す逆説すら生じる.
私たちはGDPという実体がどこかに存在し,必要なのは測定の精度を上げることだというような錯覚に陥っている.だが測定の対象がただの概念にすぎない以上,正確な測定などというものは本来ありえない
GDPは生産の境界(production boundary)と呼ばれる概念に基づき,どの活動を経済的価値として数えるかを恣意的に決定している.生産の境界の外側にあるもの――すなわち家庭内労働,感情労働,ボランティア活動,非公式経済など――はGDPには一切含まれない.主婦が家庭で子を育て,食事を作っても統計的にはゼロであるが,同じことを保育士や料理人が担えば市場価値が生じる.このような価値の計量における二重基準は,GDPが本質的に市場主義的な計測装置であることを物語っている.設計思想の淵源は,第二次世界大戦後にさかのぼる.
国連によって1953年に制定されたSNA(国民経済計算体系)は,戦後復興と福祉国家建設の文脈において,国家が経済活動を把握し,計画的に管理するための統計的言語として構築された.中心人物のひとりが,後にノーベル経済学賞を受けることとなるリチャード・ストーン(John Richard Nicholas Stone)である.ストーンの「市場で価格がつかないものは,存在しないものとされる」という皮肉な認識は,GDPの根本的な欠陥を端的に表現している.1970年代,アメリカではジョンソン政権下の「偽りの繁栄政策」やベトナム戦争の歳出拡大によって,経済はインフレと停滞というスタグフレーションに陥った.この経験を契機として,ケインズ的な経済運営と,それを支えるGDP指標への信頼は徐々に揺らぎ始める.
経済の議論には,いつも決まってGDPが持ちだされる.とてもなじみのある言葉なので,みんなその意味をよく考えてみようともしない.統計上の困難や課題はすべて覆い隠されている.GDPは,経済の様子を知るための便利なショートカットなのだ
とはいえ,代替の包括的指標が未整備であることから,GDPは今日に至るまで名目的な万能指標として君臨し続けている.この構造に異議を唱えるべく,1990年代に登場したのがブータン王国の「国民総幸福(GNH)」である.物質的な生産よりも,精神的・文化的な豊かさを国家の指針とする理念は,当時,異端視されながらも国際的な注目を集めた.本書は,こうした新指標の潮流を単なる補助線とは捉えず,GDPという単眼的な尺度に代わる多焦点的な見方の必要性を強調する.つまり,経済とは生産と消費の総和ではなく,人間の幸福と社会の持続可能性に関わる複雑な営為である,という前提への回帰である.
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Title: GDP
Author: Diane Coyle
ISBN: 9784622079118
© 2015 みすず書房
