| 信州飯山の小学校教員・瀬川丑松は,死の際にある父の言いつけに従い,被差別部落出身の素性を誰にも明かさないと誓う.敬愛する部落民開放運動家・猪子蓮太郎から「君も一生卑怯者で通す気か」と問いつめられても,丑松は父親の戒めを守り通すが,丑松が部落民であるという噂がどこからか流れてくる.そんなある日,猪子が志半ばで凶刃に倒れてしまう.ついに決意を固めた丑松は,すべてを校長に告げ,職を追われていく…. |
島崎藤村の同名小説を原作とした映像化の中でも,戦後日本映画の倫理・美学的到達点の一つとして高く評価される作品である.原作は1906年に発表され,日本自然主義文学の出発点とも位置づけられているが,市川崑は「青春の魂のさすらい物語」として,普遍的な主題へと昇華させた.瀬川丑松は,かつて周縁化されてきた被差別部落の出自を隠し,小学校教員としての職を得ている.
破戒とは,父が死に際に命じた「決して身の上を明かすな」という戒めを破ることであり,それは日本近代社会が押し込めてきた差別の構造に風穴を開ける行為に他ならない.市川と和田夏十は,本作において丑松の内面の弱さや逡巡を,人間存在の実存的問題として描く.敬愛する部落解放運動家・猪子蓮太郎との対話において,「君も一生卑怯者で通すつもりか」という猪子の言葉が刺さる場面は,丑松の苦悩が倫理的選択の極限にまで押しやられていることを象徴している.
猪子を演じた三國連太郎の演技は圧巻である.身体に宿った暴力性と知性が混在する雰囲気は,原作における猪子の理想主義を現実に引きずり下ろす強度を持っていた.象徴的な場面のひとつは,丑松が進退伺を手に,生徒たちに自身の出自を告白し,土下座して謝罪する場面である.告白すること自体が社会制度と倫理の交錯点に立たされる構図である.その行為は懺悔ではなく,自己の存在を社会に投げ出す一種の決断である.
原作では,この場面はより内面的なモノローグとして描かれているが,本作はカメラワークを通して群集の視線の重圧を視覚化し,観客を丑松と同じ場所に引き込む.猪子の死後,丑松の中で自己否定と再生が急速に進行する心理描写の深度は,原作をなぞる以上の効果を上げている.この精神的な転換点を,音の排除によって演出した表現技法は,ヌーヴェルヴァーグの様式性すら帯びている.
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原題: 破戒
監督: 市川崑
119分/日本/1962年
© 1962 大映
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