| 子ども向けの人生訓話として世界中の人々になじみ深いイソップの動物寓話‥‥実は,歴史上の人物としてのイソップ(アイソーポス)が作ったと実証できる話はひとつもない,いわば「イソップ風」寓話集であるが,そこには,読み手の立場によってさまざまな解釈が可能な,実に奥深い世界が展開されている.新訳471篇を収録――. |
前5世紀頃,ギリシアの喜劇詩人や弁論家たちはアイソポス(Aisōpos)の寓話を好んで引用し,民衆の間で広く流布していた.このことからも,アイソポスの物語が当時の庶民の心に根付いていたことは疑いない.寓話は,社会の底辺に生きる奴隷や庶民たちが,理不尽な権力や社会構造をどう生き抜くかを伝える,実践的な処世術として受容されていた.中世ヨーロッパ社会では,「動物裁判」と呼ばれる奇妙な儀式が制度化された.擬人化された動物が裁かれ,処刑されることすらあった.この儀式は,自然界を人間の支配下に置こうとする人間中心主義の極端な表象であった.
動物裁判の根底には動物を人格化し,人間と等価に扱うという,アイソポス寓話にも通じる観念が潜んでいた.皮肉なことに,動物寓話という一見庶民的で素朴な物語が,後のキリスト教的世界観では支配と権力の論理に吸収され,動物すら裁く対象と化したのである.アイソポス寓話の特色は,動物を擬人化したアレゴリー(寓意)の手法によって,人間社会の欺瞞と滑稽さを鋭く抉り出すことにある.物語において,弱者が知恵を武器に強者を出し抜くという構造が繰り返し用いられている.これらは古代ギリシアにおける身分制度への静かな抵抗の物語でもあり,彼自身が奴隷であったとされる点と響き合う.
ヘロドトス(Hēródotos)は『歴史』の中で,アイソポスをサモス島の奴隷として紹介しているが,その生国についてはトラキア説,フリュギア説,果てはエチオピア説まで存在し,確証はない.奴隷から自由民となり,リュディア王に仕えたとも伝わるが,伝説の域を出ない.しかし,アイソポスが生涯を通じて庶民や奴隷の視点を持ち続けたことは,その寓話群が醸し出すアイロニーの質からもうかがえる.現存するアイソポス寓話は,後世の編集者たちによって編纂されたものであり,その最も信頼される体系は,古典学者ベン・エドウィン・ペリー(Ben Edwin Perry)による『アエソピカ』である.
ギリシア語471話,ラテン語254話を体系的に整理し,学術的なアイソポス寓話研究の礎を築いた.本書は,ギリシア語寓話471話を全訳したものであり,原典の骨太さと簡潔さを味わえる.寓話は,学問が未分化であった時代から人間の本質を鋭く射抜いており,現代に至っても,その真理はなんら色褪せない.デジタル化した現代社会において,SNSで日々繰り返される人間模様は,アイソポスの警句にそのまま収斂するようである.強者の傲慢,弱者のずる賢さ,見かけに騙される愚かさ――これらはすべてアイソポスが予言した人間の業である.
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Title: ΑΙΣΩΠΕΙΟΙ ΜΥΘΟΙ
Author: Aisōpos
ISBN: 400321031X
© 1999 岩波書店
