▼『ブッシュの戦争』ボブ・ウッドワード

ブッシュの戦争

 9.11からアフガニスタンへの武力行使,そしてイラク攻撃へ.国際社会の反対をよそに,強硬路線を突き進むブッシュ政権.アメリカの軍事作戦と,その裏面で繰り広げられるホワイトハウスでの熾烈な暗闘を赤裸々に描いた話題作.著者ウッドワードは,アメリカを代表するジャーナリスト.彼は執筆のために,大統領本人を含む100人以上にインタビューを行なった.さらに,戦争計画会議の速記録(50回分以上)も入手し,パウエル国務長官,ラムズフェルド国防長官ら,重要閣僚の生の発言を収録.いながらにしてオーバル・オフィス(大統領執務室)にいるかのような感覚を読む者に与えてくれる――.

 43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ(George Walker Bush)の「戦時大統領」への変貌を,9.11同時多発テロからの最初の100日間に焦点を当てて克明に描いた記録である.のちの"Plan of Attack"(攻撃計画)と対をなし,ブッシュ政権のイラク侵攻に至るプロセスを考察する文献の意義をもつ.本書の核心は,国家的危機に直面した瞬間,ブッシュが「アメリカは攻撃を受けている」と認識し,戦争を開始せねばならないと直感的に結論した,その即断の描写にある.ブッシュがこの報告を受けたのは,フロリダ州のエマ・E・ブッカー小学校で2年生に本を読み聞かせている最中だった.当時の映像で,ブッシュは数秒間,明らかに思考停止したように見えるが,本人は後に「国民にパニックを与えたくなかった」と釈明している.しかし著者の筆は,その静止した時間こそが「戦争開始」を大統領が内心で決意した瞬間であったと冷徹に示す.

 9.11当日,大統領夫妻が深夜にホワイトハウスの防空壕へ避難した事実は,当時は非公開であった.午後11時08分,シークレットサービスの警告により,飛行機型のミサイルが迫っているという情報のもと,緊急退避を余儀なくされたブッシュがその夜,自らの手で日記に記した「21世紀のパール・ハーバーが今日発生した」という一文は,父ジョージ・H・W・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)が大統領時代に用いていた日記スタイルを踏襲したものだった.父子間の歴史のリフレインは,家系の政治的アイデンティティが色濃く反映されている.W・ブッシュは初の声明で「テロリズムの打倒」という表現を用いた.これは1990年,父ブッシュがイラクによるクウェート侵攻に際して発した「このようなことは打倒されるだろう」という言葉をなぞるもので,ホワイトハウス内部でブッシュ家が長く共有していた外交辞書の一節だった.こうした言語の連続性は,対テロ戦争を父の遺志の延長線上に位置付けようとしたW・ブッシュの無意識的演出とも読める.

 本書が興味深いのは,ホワイトハウス内部の意思決定過程を詳細に暴露した点である.副大統領ディック・チェイニー(Richard Bruce "Dick" Cheney),国防長官ドナルド・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld)らタカ派と,国務長官コリン・パウエル(Colin Luther Powell)の対立は,アメリカがいかなる戦争を選択するのか,国家の原理を揺るがすコンフリクトでもあった.著者は,チェイニーが情報を巧妙に取捨選択し,ブッシュに最も都合の良い結論だけを伝えていたことを示唆しているが,これはのちにイラク戦争開戦の誤謬につながっていく重要な伏線である.周知の通り,ブッシュは2001年10月にアフガニスタン空爆を開始し,さらに2002年12月にはイラク攻撃を事実上決定する.9.11からわずか2か月後,サッダーム・フセイン(Saddam Hussein)殺害計画をブッシュは指示したことも,著者の取材で明らかになったことだ.国防長官に指示した計画は,CIA長官に計画を漏らさないよう命じ,国家安全保障担当の大統領補佐官コンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)には詳細を伏せた.

 自分は直感で動く人間だ,と公言して憚らないブッシュは,本書でのインタビューで十数回も同じ趣旨の発言を繰り返している.著者はそれに驚きを隠さない.国家機構の最高権力者の信念を傾けるものは,ファクトよりも主観的な印象に重きが置かれている.その事実が,大統領の口から当然至極と語られ続けた.ブッシュは,テロのわずか1ヵ月後にアフガニスタンへの空爆を開始した.イラク戦争開始の3か月前に大量破壊兵器を発見できる見込みを側近に尋ねると「大丈夫,スラムダンク(100%確実)です」という発言を信じて開戦を決意する.本書で述べられているように,21世紀は2つの現実とともに幕を開けた.大規模テロ攻撃の可能性と,大量破壊兵器の拡散の脅威である.戦時の閣僚の意思決定の過程と,最終的な決定権をもつ大統領の職責,それらを膨大な文書と聴き取りから時系列で明かしていく本書は,類まれなるジャーナリストの人脈がなければなしえなかった.克明な記録が明かすものの一つには,前例にとらわれない指揮官をいただく組織の孕む危うさがある.2つの現実に対処すべき姿勢として,その適確性をいかに問うべきか.熾烈な政治の取材を通じて提起する.

ブッシュの戦争

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Title: BUSH AT WAR

Author: Bob Woodward

ISBN: 4532164370

© 2003 日本経済新聞社